そんなあたしたちに先に気付いたのはキラだった。


キラはあたしたちを見つけると、無邪気な笑顔で大きく両手を振ってきた。

あたしも、そんなキラに手を振り返す……。


そして、キラがソラに一言、二言話しかけると、2人はゆっくりとこちらへ歩き始めた。



「……美夕ちゃん、辛かったんじゃない?」

「えっ?」


あたしは思わず先輩の方を向いた。


「そんな秘密を、一人でずっと抱えてたんだ」


先輩の声はとても穏やかで、優しかった。




……だけどね。

気付かなかったほうが幸せだったのに。

あたしは、2人を見つめる先輩の顔が一瞬だけ変わったのを見逃さなかったんだ。




先輩は、目を細めて、鼻に横ジワを作って、口を半開きにして。



──それは、隠そうとしても隠し切れない、嫌悪の表情だった。






先に待合室に入ってきたのは、キラだった。


キラはいつもと変わらない……ううん、いつもより更に眩しい笑顔で、

「おはようございますっ!」

そんな元気な声を狭い待合室に響かせた。


そして、その後ろからすぐに、ソラも入って来る。


ソラはまず、先輩だけに「おはようございます」って礼儀正しい挨拶をした後、

あたしには、その表情をすっかり無愛想なものに変えて、こう言った。


「……はよ」


……別にいいんだけどね。

最近のソラはずっと、こんな感じだし。



だけど……。

昨日の夜、あんな意味不明な電話をかけてきたっていうのに、ソラはそんなことをみじんも感じさせないいつも通りの様子で。

……あたしは、そんなソラの態度にひとり戸惑っていたんだ。



(ねえ、昨日の電話って、なんだったの?)



昨夜から、今日ソラに会ったらまず最初にそう尋ねようと心に決めていた。


……だけど、いざソラを前にしたあたしの口から出たのは、今にも消えそうな

「……おはよ」

という言葉だけで。



……だって、ね。

ソラの隣に立つキラが、あたしを見ていたんだ。

その顔は笑っているけれど、でも、先輩からさっきの話を聞かされた後ではそんな笑顔はかえって怖くて。


……今、下手なことを言って、キラに変な誤解をされたくない。


旅行はまだ始まったばかり。

これから明日の夕方まで、楽しく過ごさないといけないんだから……。



先輩とソラが、壁の時刻表を見ながら今日のスケジュールを確認し始めると、キラはゆっくりあたしの方に近づいてきた。


そして、私にしか聞こえないような小声で、こう囁いた。

「先輩に、言ってくれた?」


あたしが無言で二度大きくうなずくと、キラの表情は更に明るくなる。


そして、

「ねえ! 早く出発しようよ!」

そう言うとキラは、先輩の目の前で、ソラの背中に抱きついてみせた。




目的のペンションまでは、電車を2本乗り継いだ後、さらにバスで長時間山道を揺られないといけない。

朝出発しても、休憩や乗り継ぎの時間を考えると、到着するのは夕方近くになる予定だった。


最初に乗ったのは、この近辺で一番大きな中心駅へ向かう電車。


車内はほどよく混んでいて、あたしたちは、キラとソラ、あたしと先輩の二手に分かれて通路に立った。

「美夕ちゃん、荷物貸して?」

先輩が、あたしの重いバッグを軽々と持ち上げて、頭上の網棚に載せてくれる。


あたしはバッグが重すぎて網棚から落ちないか心配だったけど、下から見上げたバッグは電車が揺れてもビクともしなくて、ホッとした。


そんなあたしの様子を隣で見た先輩は、

「大丈夫だよ」

って、面白そうに笑っていた。


「……あたしの考えてたこと、分かりました?」

「うん、美夕ちゃんは思ってることがすぐに顔に出るから」

「えっ?」


自分ではよく分からないけど、そうなのかな……?



ほかの乗客が邪魔をして、あたしの位置からキラとソラの姿を見ることはできない。


……だけど、それでよかったのかも。


「少しずつだけど、美夕ちゃんのことが分かってきた気がするよ」


あたしは、自信たっぷりにそう言う先輩に、すっかり自分の心を見透かされそうな気がしていた。





30分の長い待ち時間を経て次に乗った郊外行きの電車は、土曜日だと言うのに半分以上が空席だった。

あたしたちはここにきて、ようやく座席に座ることができた。


古びた造りの電車の、4人で向かい合って座るクロスシート。

まず窓側にソラが座ると、すぐその後をキラが追い、その隣に座った。

あたしは先輩に「どうぞ」って窓側を譲って、一番最後にその通路側──キラの目の前──に腰を下ろした。


「意外と人が少ないんだね」

「そうですねー。でも、こうしてゆっくり座れたから、よかったですよね!」


先輩とキラは、お互い笑顔で、そんな当たり障りのない会話を続けていた。

あたしは、2人の顔を交互に見比べながら、少し引きつった笑顔で相槌を打つのが精一杯で。


……何なんだろう、この緊張感。

楽しい会話をしているはずなのに、あたしの手はどんどん汗で濡れ、喉はカラカラになってきて。



ソラはというと、

ずっと窓の外を眺めていて、あたしたちの会話に参加しようとしなかった。




窓の外に映る景色が、次第に見慣れないものに変わっていく。

ビルや色とりどりの看板のかわりに映し出されるのは、木々だったり山に囲まれたトンネルだったり。

少ない乗客の話し声もほとんど聞こえない車内は静かで、ただガタンゴトンという、車輪がレールの継ぎ目を通過するときになる音だけが響いていた。



そこは、いつもの日常とは違う「異空間」だった。


ここは、誰も、あたしたち──キラとソラの関係──を知っている人がいない場所。


そんな景色を見ながら、キラもあたしと同じようなことを感じたみたいで。


「ねえ、ソラ! ちょっと車内を探検しにいかない?」

そう言うとキラは、あたしたちの目の前で、ソラの腕に自分の腕を絡めた。


「喉が渇いたんだけど、販売機ないのかな? 行ってみようよ」


だけどソラはどこか不機嫌そうな表情で。

「そのうち車内販売が来るよ」

って、決して動こうとはしなかった。




……なんとなく、気まずい雰囲気。







そこで、いつもなら「そんなの待ってられないから、行こうよ!」って笑って返すのがキラなのに。

だけど今は、その顔を強張らせて、ただじっとソラを見つめていた。


「……ソラ、なに怒ってるの?」

キラの声は低い。

「別に」

「ウソつき。さっきからずっと機嫌悪いじゃん」

「……」


ソラは何も答えようとしなかった。

そしてあたしと先輩は、目の前のそんな2人の様子を見守る以外なにもできなくて。




──だけど、そんな沈黙に耐えられなくなったのはあたしだった。


「キラ、あたしと行こうよ!」

そう言って立ち上がると、

「あたしも喉渇いたし、ね? 一緒に行こう?」

そう言い終える前に、あたしはキラの手をつかんで無理矢理立ち上がらせると、先輩とソラを残してその場をあとにした。


だって。

苦しくて。


2人のことを見ているだけなのに、

あれ以上あの場にいたら、キラよりも先に、


あたしが泣いてしまいそうだった。







あたしは、キラの手をつかんだまま、早足で車内を歩き続けた。

キラは何も言わず、そんなあたしのペースに合わせて後を歩いてくれる。


ジュースの自販機は、ふたつ先の車両のデッキにあった。


「あったよ、キラ」


足を止めて、キラの手を離して。

そこであたしは初めて、重大な事実に気がついた。

「あ……」


しまった……。

勢いよく席を立ったのはいいけれど、あたし、お財布持ってきてないや……。



キラも、すぐにそのことに気づいたみたいで、背後から「プッ!」って噴き出す声が聞こえてきた。


「もう……美夕ってば、おっかしーい」

振り返るとキラはお腹に手を当てて笑っていて。


「……だよね」

そこでようやく、あたしは重苦しい緊張から解放された。

あたしとキラはそのままデッキに向かい合って座った。


「大丈夫だよ、キラ。……ソラはきっと、先輩の前でどういう態度をとっていいか分からないだけだから」

そう言ったのは、あたし。

「照れくさかったり、先輩の反応が怖かったり……複雑なんだと思うよ?」


キラは笑って、あたしの話にじっと耳を傾けていた。


「まだ旅行は始まったばかりだから、ね。すぐにソラも落ち着くよ」

「……そうかもね。あーあ! 私は先輩に知ってもらって、すごく嬉しいのに!」

「こういうときは、オンナの方が度胸あるんじゃない?」

「オンナっていうより、私?」

「うーんっ……」


デッキに、あたしたちの笑い声が響く。



「美夕、ありがとう」


かしこまってそう言うキラに、あたしは黙って首を横に振った。



「美夕には助けてもらってばかりで……。私、美夕がいないとダメみたい。だからこれからも、ずっと友達でいてね?」