……だけど、電話の向こうからは何の声も聞こえてこない。



「ソラ? 聞こえてるの?」



うっかりボタンを押し間違えただけなのかも。

そう思って耳をすますと、受話器の向こうから、気配を押し殺すような息遣いがかすかに聞こえてきた。



間違いなんかじゃない。

確かに、電話口の向こうにはソラがいるのに。



「…………」

「ねえ、ソラ?」

「…………」

「……もしかして具合が悪いとか? キラがいるんだし、大丈夫だよね?」

「…………」



沈黙は、何分も続いた。

なんだかイヤな感じがして、あたしはベッドから起き上がると、その縁に背筋を伸ばして腰掛けた。



なんでだろう?

ものすごく、イライラする。


「ねえ、明日早いんだし、用がないんだったらもう切るよ?」


……それでもソラは無言だった。


電話を切っちゃえばいいのに。

だけどあたしは、そうすることもできなくて。



こうして、ただ、沈黙の時間だけが過ぎていった。


そんな沈黙をやぶったのは、無言のプレッシャーに負けたあたし。


「ソラ、何か言ってよ!」


明日は朝早いんだから。

それでなくても緊張して、今夜眠れるか分からないって言うのに、これ以上目が覚めるようなことをするのはやめて欲しい。

明日になれば、イヤでも顔を合わせるんだし、話ならそのときすればいいのに。


……って、別にイヤっていうわけじゃないんだけど……。


「用事がないんだったら、切ってよ! こんな夜遅くにこんなイタズラ電話みたいなことされても、迷惑なんだからね!」


だけど、携帯のスピーカーから聞こえてくるのは相変わらず、微かな息遣いだけで。

それだって、あたしがどんなに声を荒げても、全然反応がなくて。


そんなソラの態度に、あたしだけが、ボルテージをどんどんどんどん上げていって。


「なによ……この前バスで無視したことを怒ってるの?」

「……」

「仕方ないじゃん、先輩が迎えに来てくれることになったんだから!」

「……」

「それに、いつも私の顔もろくに見てくれないし無愛想なくせに、あんなときだけ『おいで』なんて言われても、素直にいけるわけないでしょ!?」

……もう、自分で何を言ってるんだか、訳がわからなかった。




聞かれてもいないのに、あたしったら何を言ってるんだろう。


それにしても今の言葉、なんだか言い訳っぽい……。

自分で言っておきながら、そんな自分がつくづくイヤになる。


……っていうか、あたしって、
ソラを無視してバスに乗らなかったことを、実は内心気にしていたんだ。

とっさにでた自分の言葉で、今、やっとそれを自覚したよ……。



「話なら、明日聞くから! もう切るよ?」

「…………」

「もう、いい加減にしてよ……ホントに切っちゃうからね?」

「…………」

「なによ、『うん』のヒトコトも言えないわけ?」

「…………」



悔しい。

腹が立つ。


だけど、電話を切っちゃえばいいのに、

このまま待っていたらソラの声が聞けるような気がして。

少しだけ、ソラの声が聞きたくて。



偉そうに、威勢良くタンカを切ったわりに、

あたしはなかなか電話を終わらせることができなかった。




そして、その電話は、

そのあとしばらく沈黙が続いたあと、

一言も会話のキャッチボールをすることなく、

突然終わってしまった。



…………電話を切ったのは、ソラのほうだった。





──翌朝。

あたしは結局寝不足のまま朝を迎えた。


いろいろと考えないといけないことが多すぎて。

ベッドに入ってからも、あたしの心臓はいつもの3割り増しくらいでドキドキと鼓動を続けていた。

目をつぶっても眠れなくて、気がつくと時計は3時半を指していて。

それから後は、覚えていない。

多分、考えることに疲れて眠っちゃったんだろう。



あたしは着替えを済ませると、ベッドの上に腰掛けた。

隣には昨日何度も中身を出し入れして、準備万端の状態のバッグ。


あとは、先輩からのメールを待つだけだった。



──今日の待ち合わせは、最寄の電車駅。

あたしは先輩に迎えにきてもらうことになっていた。


キラとソラは、いつものバス停からバスに乗って集合場所へ向かうと言っていた。



「少しでいいから、私たちのこと、先輩に話してみてよ?」

それは、キラとソラの関係……。

昨日学校でも、キラにそう念を押されていた。


キラたちと合流する前に、私はちゃんと先輩に話せるのかな……。

先輩からのメールが届いたのはそれから5分後だった。

そのメールを待ちわびていたあたしは、携帯を開きながら急いで玄関へ向かった。


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おはよう!

今、公園に着いたところだよ。


本当はこのまま家まで迎えに行って

家の人に挨拶したいんだけど、

旅行前だし、

なんかヤバいかな?


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あたしはメールを読みながら靴を履いた。


……そうだね、先輩の言うとおり。

今このタイミングでは、ちょっと問題かも。


だって。

リビングの前を通るときに一応「行ってきます」って声をかけたら、

ママったら、心配そうな顔で玄関までついてきて。


「管理人さんの言うことをよく聞いて、問題起こさないで頂戴ね。あなたたちはまだ高校生なんだから、そのことに自覚持って……」

「はいはい、昨日から何度も聞いてるよ」



あたしはママの小言を聞き流しながら、先輩に返事を送った。


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うん。

今はヤバいです。

また今度お願いします…


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そして、

「じゃ、行ってくるね!」

と言うと、まだ何か言いたそうにしているママに背を向けて家を出た。




先輩は、公園の前……いつもの場所にいた。

「せんぱいっ!」

そう呼びながら、あたしは急いで先輩のもとへ走った。

だけど、先輩の目の前までいくと、あたしの足は止まってしまった。


……なんとなく、先輩と目を合わせるのが恥ずかしい。


いつもと違う、見慣れない私服姿だから?

それとも、今夜のことを考えちゃうから?


あたしが意識しすぎなのかな……?


だけど、原チャリにもたれかかっていた先輩は、あたしの姿を見るとなぜか大笑いを始めた。


……え?


「……先輩? あたし、何かおかしい?」

あたしが恐る恐る聞くと、先輩はあたしの頭を撫でながら

「笑ってごめん! 女の子って本当に荷物が多いなーと思って。大変だね」

そう言って、あたしが抱えているバッグを指差した。


「あ……」


確かに、それは一泊旅行にしては大きなボストンバッグ。

しかも中に荷物がパンパンに詰まっているのが、外からでも分かるくらいで。



……だって、初めての旅行なんだもん。

あれもこれも持ってないと、不安になっちゃって。

確かに、バスタオルは2枚も必要なかったのかもしれないけど……。


「じゃあ、行こうか?」


先輩はまだ笑いながら、あたしのバッグを持ってくれた。


そして、

「うわっ、重いなー」

って楽しそうに言いながら、それを原チャリの足元に置いた。


もう。
先輩ってば、笑いすぎだよ……。


「スミマセン……」

なんだか申し訳なくなったあたしが俯いてそう呟くと、

「謝らなくていいのに」

先輩は、いつものようにあたしを抱きかかえて原チャリの後ろに座らせてくれた。


「普段どおり、いこうよ」


そう言ってすぐにメットをかぶった先輩の耳は、すごく赤くて。



……あれ?

もしかして、先輩もドキドキしてくれてるのかな?




そんなことを思ってしまった。


駅に着いたのは、待ち合わせ時間の20分前だった。

駐輪場に原チャリを止めて辺りを見回してみたけれど、まだキラとソラの姿はない。


「中で待とうか?」


そう言ってあたしの荷物まで持ってくれた先輩が入っていったのは、ベンチが3つ、コの字型に並べられただけの小さな待合室だった。

そこであたしが壁に貼られたバスの時刻表を眺めていると、先輩があたしの肩越しに顔を覗かせる。

先輩は、しばらく時刻表をじっと見つめると、

「次のバス、もう10分で着くね。あの2人はそれに乗って来るかな?」

って言いながら、さりげなくあたしの肩に手を回した。


なんだか、そんなささいな仕草にも、いつも以上にドキッとしてしまう……。


「うん、そうですね……」


だけど、ドキドキばかりしてもいられない。

あと10分。

その間に、先輩に2人のことを話しておかないと──。




だけど、あたしが勇気を振り絞って口に出した「あのね……」っていう小さな声は、

先輩の次の言葉にかき消されてしまった。



「今朝、苑からイヤミを言われたよ、自分たちだけズルいって」


「……え?」



思いがけず出た苑ちゃんの名前に、あたしの体はこわばってしまった。






「苑のやつ、美夕ちゃんと同じ部屋だってことまで知っててね。ずいぶん冷やかされたんだよ」

「え……?」

「まったく、もう……。それがイヤで、苑には誰と行くかまでは話さなかったのになぁ……」


どういうこと?

あたしは後ろを振り返って、すぐ後ろに立つ先輩をじっと見つめた。


「だって……。先輩が、苑ちゃんに、旅行のことを話したんじゃないんですか?」


あたしの顔はきっと強張っていたんだろう。

先輩はきょとんとしたような、不思議そうな顔であたしを見た。


そして、当たり前のように、こう言ったんだ。


「いや。俺は苑に、旅行に行くこと以外は何も話してないよ」


そして、もう一言。


「苑はキラちゃんから聞いたんだよ。だってあの2人、最近よくメールのやりとりしてるから」




……目の前が、真っ暗になった。