そのまま先輩にキラとソラの関係を切り出せないまま、
ただ時間だけが過ぎて、
気付くと、旅行まであと残り3日になってしまっていた。
「美夕、今日こそは先輩に言ってよね!」
キラは毎日のようにあたしに催促した。
そして今日も。
誰もいなくなった放課後の教室で、
キラはバスの時間まで、先輩が迎えに来るのを待つあたしの話し相手になってくれていた。
「そんなに言いにくいの?」
「……うん」
あたしは、キラに「ゴメンね」って言いながら、
「なかなか、話を切り出すタイミングが難しいんだよ…」
って言葉を濁すことしかできなくて。
「ソラは、なんて言ってるの?」
「私がしたいようにしていいよ、って。ソラも先輩のことは信頼してるから」
キラはあたしの前の席に腰掛けると、話を続けた。
「まぁ、美夕が先輩に言いにくいのも、仕方ないかなぁ。それに、わざわざ言わなくても、一緒に旅行に行けば分かっちゃうしねー」
「……それは、2人の態度次第じゃない?」
「あっ、美夕ったら、自分たちだけ楽しむつもりー?」
「別に、そういうわけじゃないけど……」
「私たちだって、たまには家の外で思いっきり『恋人同士』したいんだから」
キラは、机に肘を突いて身を乗り出すと、あたしに顔を近づけて言った。
「あたしはソラと、美夕は先輩と一緒の部屋だからね。お互い楽しもうよっ」
「……え?」
……先輩と同じ部屋?
あたしが驚いてキラの顔を見ると、キラはその大きな瞳を輝かせて笑っていた。
「そうだよ! 美夕、頑張ってね」
……頑張るって、何を?
そう言いかけたけど、
そんなこと言わなくても分かってるじゃん、って自己解決して、
あたしは楽しそうに話し続けるキラに苦笑いを返した。
バスの時間が近づいて、キラが教室を出て行くと、
なんだかどっと疲れが出た。
『下着とか、一緒に買いに行く?』
『美夕、初めてでしょ? 分からないことあったら何でも教えてあげるよー』
そんなことを楽しそうに話すキラは、
本当に、旅行を楽しみにしているみたいだった。
あたしは、頭を抱えてため息をついた。
あたしにとっても、先輩との初めての、楽しいはずの旅行なのに。
なんだかもう、楽しみって言うより、考えないといけないことが多すぎて気が重い。
そのとき、先輩からのメールが届いた。
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美夕ちゃん、ごめん!
原チャリが壊れたみたいで、
当分学校から動けそうにないよ。
悪いけど今日は、先に帰って?
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……なんだか、ほっとするあたし。
今ならまだ、キラがバス停でバスを待っているはずだ。
だけど。
あたしはもう一度机に突っ伏した。
……1本遅らせて、1人で帰ろう。
なんかあたし、疲れてるな……。
ゆっくりと学校を出て、バス停に着いたときにはもう19時半になっていた。
次のバスは、この前の雨の日、偶然ソラと一緒になった、あのバスだ……
ふと、あの日ソラと2人で歩いたことを思い出す。
だけど、あたしは首を振って、そんな記憶を頭からかき消した。
よそう。
もう、ソラのことを考えるのはやめにしたんだから……。
あたしはベンチに座ると、先輩がどうしているか気になって、携帯を開いた。
原チャリ、どうなったのかな。
無事に直って、帰れたのかな……
あたしの携帯の着信履歴も発信履歴も、ほとんど先輩で埋まっていた。
あたしは先輩だらけの履歴の中から一つ選ぶと、通話ボタンをおした。
『もしもし』
呼び出し音はすぐに先輩の声に変わる。
『美夕ちゃん、どうかしたの? もう家に帰った?』
先輩はいきなりあたしの心配をしてくれる。
……あたしから電話をすると、心配性な先輩は、いつもこうなんだ。
何も無くても、電話する事だってあるのに。
「先輩こそ……原チャリ、大丈夫でしたか?」
耳を澄ますと、電話の向こうから車の音が聞こえてきた。
『うん、バイクショップまでバイクを押して行って、今さっき修理が終わったとこだよ。これから帰るんだ」
そういえば、この近くにバイクショップがあったような気がする。
アップダウンの激しい通学路を壊れたバイクを押しながら歩いたら……かなり時間がかかったんじゃないかな。
「大変でしたね」
あたしがそう言うと、先輩は疲れを見せない明るい声で「ありがとう」って言ってくれた。
『美夕ちゃんは、今どこ?』
「あたしも、まだ外……帰ってる途中なんです」
『え!?遅くない?』
「うん……なんだか急いで帰る気分になれなくて」
まさか、先輩にキラたちのことをどう伝えるか悩んでいましたなんて言えない。
あたしは無意識のうちに、
「先輩がいないと、なんだか寂しくて」
って、歯が浮くようなことを呟いてしまった。
やだ。
あたし、何言ってるんだろう……。
恥ずかしすぎて心臓がドキドキ騒ぎ始める。
先輩も、あたしがそんならしくないことを言ったものだから、少しの間、無言になってしまって。
ようやく返事が返ってきたのは、あたしの心拍数が上がりきった後だった。
『だったら一緒に帰ろう。どこにいるの?』
それは少し照れたような、嬉しそうな声だった。
そのとき、ようやく道路の向こうに、あたしが乗る予定のバスが見えてきた。
「え……と」
あたしがとまどっているうちに、バスはいつものように、あたしの目の前で止まる。
あたし、手を上げていないのに。
そして真中あたりにある乗車ドアが開いた。
降車客は誰もいなくて、
バスは間違いなくあたしのために止まったんだってことが分かる……。
やだ、どうしよう。
『どうしたの? もしかして、もう家の近くまで帰ってるの?』
先輩が電話の向こうで心配そうに聞いてきた。
……その時だった。
あたしはそのバスの中に、ソラの姿を見つけてしまった。
通路に立ち、
つり革につかまって
じっとあたしを見ているソラ……。
気のせいだろうか?
ソラの唇が、「おいで」って動いたように見えた。
あたしの足は、完全に止まってしまった。
そして、そんなあたしにイラついたのか、
《お客さん、乗らないの?》って、
インターホン越しに運転手の声が聞こえてきた。
ドアが閉まると、
バスはゆっくりとバス停から離れていく。
『もしもし、美夕ちゃん、聞こえてる?』
携帯から聞こえてくる先輩の声にハッとして、
あたしは慌てて携帯を自分の耳に当てなおした。
「ごめんなさい、先輩」
『今、どこなの?』
「あたしは…………」
「今……」
あたしは、どんどん小さくなっていくバスを見送りながら言った。
「今、まだ学校前のバス停なんです。さっきバスが来たんだけど、乗り遅れちゃって」
バスはもう、見えなくなっていた。
……これで、いいんだ。
──さっき。
『すみません、乗りません!』
あたしがインターホンに向かって頭を下げながらそう言うと、バスの扉はすぐに閉まってしまった。
そして、あっという間に動き出すバス。
その間、ソラはずっと窓越しにあたしを見ていた。
……そしてあたしも。
ずっと、ずっと。
その姿が見えなくなるまでずっと。
目で、ソラを追いかけていた。
ソラには、あたしが小声で言った言葉、伝わったかな。
「バイバイ」
って……。