「え、泊まりなの?」

先輩は、あたしが原チャリの後ろに座るのを助けてくれながら、そう聞き返してきた。

「はい……」


そして先輩は、それっきり黙り込んでしまった。


……いきなり泊まりの旅行に誘ったりして、先輩、引いちゃったかな。


あたしは、先輩の背中で体を小さくして、先輩からの返事を待った。


先輩の反応、怖いな……。


「場所は、どこ?」

「まだ詳しいことは聞いてないんですけど……多分、キラたちの親がペンションを持ってるから、そこだと思います。お店の社員さんの保養施設も兼ねてるらしくて、かなり広いみたいですよ」


私は、一度もそのペンションに行ったことがない。

だけど、キラとソラが2人で何度も泊まりに行っていることは、キラから聞かされて知っていた。


「美夕に彼氏ができたら、みんなで行こうね!」


キラは無邪気に笑って、よくそんなことを言ってた……。








「やっぱり、やめておこう……」


先輩は前を向いたままあたしの手をとると、それを自分の腰に回した。

手を引っぱられて、あたしの体は先輩の背中に密着する。



「え?」



先輩は、

「もっとしっかり持っとかないと、振り落とされちゃうよ」

って、あたしの手をぎゅっと握り締めた。

そしてその両手を前に回して、

ちょうど先輩のおへその辺りでしっかりと組ませてくれた。


……先輩、引いちゃったのかな。

普通、外泊なんて、女の子から誘ったりしないよね……。


呆れられたのかな……。



恥ずかしい……。



あたしは泣きたくなって、

先輩の体に回した手にぎゅっと力を込めた。





先輩は、まだ原チャリを動かそうとしなかった。


そのままの姿勢で、なんだか、嫌な『間』が続く……。

先輩がハンドルを握りなおす、そんな些細な動作にさえドキッとしてしまうくらい、あたしは緊張していた。


ただ、何も言えないまま、時間だけが過ぎる……。




しばらくすると、先輩は、フッと笑ったかと思うと、

「美夕ちゃん、今すごくドキドキしてるね。背中から伝わってくる」

そんな言葉を掛けてくれた。


「え?」


なんだか恥ずかしくて、とっさに先輩から離れようとするあたし。

先輩はそれを「離れたら危ないから」って止めた。


そして、

「美夕ちゃんと旅行にいけるのは嬉しいんだよ。でも、今週末はやめておこう」


あたしの方を振り返りながら、笑ってこう言ってくれた。



「美夕ちゃん、具合悪いんだから。俺は、元気な美夕ちゃんと旅行したいんだ。焦って今週無理に行かなくても、これから何度もチャンスはあるんだし、ね」



そういうと、先輩は少し照れたのか、「よし、行こうか」って原チャリのエンジンをかけた。



あたしは、そんな先輩の言葉が、仕草が、背中の温かさが……

……先輩のすべてが嬉しくて愛おしくて、




原チャリが動き出すより前に、

ぎゅっと強く先輩にしがみついて、


その背中に顔をうずめた。











翌日の朝。
バス停には、キラの悲鳴にも似た奇声が響き渡っていた。


「美夕、羨ましすぎるーっ!」

「……うん」


あたしが昨日の先輩とのやりとりを話すと、キラはまるで自分のことのように嬉しそうに叫んだ。


「いいなぁーっ!ねぇソラ、ちゃんと話聞いてた?」


キラが隣で興味なさそうによそを向いているソラに話を振ると、

「……聞いてるよ」

ソラはぶっきらぼうに答えた。



……少しだけ、ドキッとするあたし。


でも、それはほんの少しだけ。



あたしは昨日、先輩の背中にしがみついて、

その温もりを感じながら、決めたんだ。


──もう、ソラのことで苦しむのはやめにするんだ!って。









だからあたしは、今朝、

いつものようにキラの目を盗んでソラの様子を伺うことをしなかった。

「もしかしたらソラと目が合うんじゃないか」って、心のどこかで期待するようなこともなかった。



ソラは、そんなあたしの変化にどこまで気付いているんだろう……?



……どうでもいいけど、ね。



バスに乗っても、キラの興奮は冷めない。

いつものようにドア近くに立つあたしの手を引っ張って通路へ呼び寄せると、

「来週だったら、美夕も元気になってるよね! 来週行かない!?」

って話を続ける。

「うん……先輩に聞いてみる」


あたしは並んで立つキラとソラの顔をしっかりと見つめながら言った。


「せっかくだし、今週末、2人で仲良く行って来たら? あたしたちはまた今度、連れて行ってもらうから」


自分でも笑っちゃうくらい自然に、そんな言葉が口から出た。




「えーっ。私、美夕たちと行って、美夕と先輩が仲良くしてるとこが見たいのに!」

キラの声が大きくなって、

「キラ、うるさい」

ってソラが隣からキラをたしなめた。


だけど、そんなソラの視線は、窓の外の景色に向けられたままだった。


「あ、もしかしてソラ、美夕たちのことばかり話しててスネちゃったの?」

キラがいたずらっぽい目をしてソラの顔を覗き込む。

「そんなんじゃねーよ」

「だって、家じゃさんざん2人きりなんだし、たまにはみんなで遊びたくない? もーう、ソラはヤキモチやきなんだからっ」

「だから、そんなんじゃねーって……」

「大丈夫だよ、あたし、ソラのこと一番大事に考えてるから!」



なんだか最近のキラは、周りを気にせず大っぴらにこういうことを話すようになって、


聞いてるあたしのほうがヒヤヒヤしてしまうよ……。




それでも、ちょっと人目を気にしたのか、

キラはあたしの顔に自分の顔を近づけて、小声で言った。


「あのね。あたしとソラのこと、先輩に話してもいいかなーって思うんだ」


その言葉に、大きな声を上げたのはあたしのほうだった。


「えぇっ!?」


驚いてキラを見ると、キラはいたって真面目な顔をしてあたしを見つめていた。

ソラは……

あたしが大きな声を上げたことに対して不愉快そうな反応をしただけで、キラの言葉は聞こえていなかったみたいだ……。


こんな会話、目の前の座席に座っている学生に聞かれないか心配だ。

あたしはできるだけ小さな声でキラに尋ねた。

「キラ、それはマズくない?」

「え? どうして?」

「だって……」

キラは笑って言った。



「大丈夫だよ、先輩なら」



「だって、先輩って口堅そうだし、なにより美夕の素敵な彼氏なんだもん!」

話しながら、キラは降車ボタンを押した。

キラの話に驚くあまり全然気付かなかったけど、バスはもう、あたしたちが降りるバス停の手前まで来ていた。


「だからね、美夕」


バスがスピードを落として、あたしたちの降りるバス停に止まる。

「先輩と、ケンカしたりしないでね。ずっと仲良しでいてね」

「え……?」

「美夕次第なんだよ、先輩がこの秘密を守ってくれるかどうかは」


そう言うと、キラは。

いつものようにソラに元気よく

「またね、ソラ!」

って手を振ると、軽い足取りで出口へと歩き始めた。



そんなキラの後を追いかけるあたしは、

一瞬ソラとしっかり目が合ってしまって。


イヤだな。

あたしが困った顔してるとこ、見られちゃったみたいだ…………



あたしは、楽しそうに歩くキラのあとを小走りで追いかけた。

「でも、先輩に話す前に、ソラとちゃんと話し合ったほうがいいよ?」

「大丈夫だって。ソラは絶対賛成してくれるよ」

キラは立ち止まってあたしを見ると、笑顔で言った。


「ソラのことなら、あたしがいちばん分かってるから。美夕が心配することはないよ」


そしてまた、楽しそうにハナウタを口ずさみながら歩き始める。


「うん……」


そんな風に言われたら、あたし何も言い返せないじゃん。



「でも、先輩驚くだろうなぁ。驚いてる顔、見てみたいよ」

クスクス笑うキラ。


その笑顔は間違いなくいつものキラなのに。


なんだか……ほんの少しだけ別人に見えるよ。