「……ソラ?」


だけど、ソラは窓の外を眺める姿勢を変えようとはしなかった。

ソラがどんな表情をしているのか、あたしからはよく見えない。



ソラは、あたしの手を掴んだままのその手を、

ゆっくりとあたしの膝の上に置いた。


「ねえ、ソラ……降りないの?」

「降りたかったら、この手をふりほどいて降りたら?」


ぶっきらぼうなその言葉とは裏腹に、ソラは、繋いだその手に力を加えた。

そして、あたしの指と指の間に、一本ずつ、自分の指を絡ませていく……



バスは、あたしたちが降りるべきバス停を、スピードを落とさないままに通過していった。


あたしは、そんな窓の外の景色を眺めながら、

ほんの少しだけ、


ぎゅっと、ソラの手を握り返した。




その時、後ろの席の方からブザー音が響いた。


次のバス停に向けて走っていたバスは、

そのブザー音に反応して、急にスピードを落として止まる。



そして、バスが完全に止まると、

あたしの後ろから、見慣れない制服を着た女の子が出口へ向かって歩いて来た。


その女の子は、あたしたちの横を通り過ぎるとき、

ちらっとこちらを見た。


あたしは、その女の子を見て、驚きの声を上げた。



「苑ちゃん……!」



……苑ちゃん。

それは、ホントに何年ぶりかに会ったあたしの友達で……


……徹先輩の妹だった。




苑ちゃんは、あたしとソラの顔を何度も見た後、

その視線をあたしの膝の上に置かれた手に移した。



そして。



何も言わずに、そのままバスを降りていった。



マズい……。

先輩にばれちゃう……。


バスを降りていく苑ちゃんの背中を見送りながら、

あたしはとっさに、そんなことを考えてしまった。




「今の、苑ちゃん?」

バスが再び動き出すと、ソラがそう聞いてきた。

「うん……」

「懐かしいな、今、遠くの高校に通ってるんだっけ?」

「そうだよ」

あたしやキラと仲のよかった苑ちゃんのことは、ソラもよく知っていた。


もちろん、徹先輩の妹だってことも……。


「毎日通学すんの、大変だろうなー」


だけどソラは、まるで独り言のようにそう呟くと、

先輩のことには何も触れずに、


あたしの手を握ったまま、


また窓の外を見て黙り込んでしまった。




そして、バスはそのまま、

あたしたちだけを乗せて、



終点の車庫に到着してしまった…………




バスを降りると、雨はすっかり上がっていた。


ソラは薄暗がりの中、バス停の時刻表に顔を近づけて

「つぎのバス、1時間以上後なんだな」

って呟いた。


1時間……。

あたしにとっては気が遠くなりそうな時間だった。

こんな息苦しい状態でそんなに長い間、待っていられないよ……。


それに、さっきの苑ちゃんの様子も気になった。

苑ちゃんはあたしと先輩のことを知っている。

あたしが直接話したわけではないけれど、

先輩いわく、

苑ちゃんは先輩の相手があたしだってことを知って、喜んでくれたらしい。


……苑ちゃんは、あたしとソラが手をつないでいたのを、しっかり見ていた。


先輩にはもう、このことが伝わっちゃったんだろうか……。



「あたし、歩いて帰るから」



とにかく、この場を立ち去りたくて。


あたしはソラとバス停に背中を向けて歩き始めた。





道路は濡れているから、

早足で歩くと水がはねて、

多分あたしの靴下はもちろん、制服のスカートまで汚れてるはずだ。


明日もこのスカート、はかないといけないのに……。


でも、あたしは歩くスピードを緩めたりしなかった。



なんでだろう。

あたしは無性に腹が立っていた。



……誰に?



それは、あたし自身に。



あんな意味不明なことをするソラの手をふりほどいて、

バスを降りなかったあたし。


ソラに手を繋がれて、ドキドキしていたあたし。



そして、


このことが先輩にばれるのが怖くて仕方ないあたし。





……あたし、ものすごくイヤな女だ。








背後から、ソラの足音が聞こえてくる。


振り返って確認した訳じゃないけど、

どうやらソラも歩いて帰ることにしたみたいだ。


その足音は、大きくなることも小さくなることもなくて、

あたしが歩くペースにぴったり合わせて歩いているようだった。




……ソラだって、どういうつもりなのよ。




人のことをさんざん無視しておきながら、

急にこんなことして。


いきなり、手なんて繋いできて。


それなのに、まだ、あたしのこと突き放したままで。





ソラの馬鹿野郎。


何がしたかったのよ……








あたしが俯いて、歩くペースを更に速めると、

背後からあたしを呼ぶ声がした。


「美夕」


名前を呼ばれただけなのに、

……悔しい。

あたしは泣きそうになっていた。



あたしがそれを無視して歩き続けていると、

ソラは、もう一度、今度は少し大きな声であたしを呼んだ。



「美夕!こっち向け!」


ホントなら、いますぐにでも立ち止まって振り返って、

手に持っているカバンをその顔面にバシッって投げつけてやりたかった。



『こっち向け』?

人のことはさんざん無視しておきながら?




……ありえないでしょ。



あたしは、腹が立って、腹が立って……

悔しすぎて泣けてきて……




思わず走り出していた。











「待てっ!」

ソラの声は更に大きくなる。


だけどあたしはソラに追いつかれないように、必死に走った。


5メートル、

10メートル……


だけど、鈍くさいあたしがソラをふりきることなんて出来るわけがなくて。



気がつけば、あたしはソラに後ろから抱きしめられていた。


そのはずみに、あたしの手から傘とカバンが落ちる。


イヤだ。
そのカバン、防水加工してないのに…………


中の教科書やノートは無事だろうか?
それよりキラに借りたままのマンガは?

携帯は落ちたはずみで壊れたりしてないだろうか?



あたしはソラに抱きしめられて

訳わかんなくなりすぎて、



逆にそんな冷静なことしか考えられなくなっていた。




「そんなに急ぐなよ、バカ」

息をきらしたソラの声が耳元で聞こえる。




「……走ったりしたら、すぐ家に着いちゃうだろ」





その言葉に、

あたしの涙は止まらなくなって、



あたしはソラに後ろから抱かれたまま、

声を上げて、

ずっと我慢していた2週間分の涙を流した。










それから。


あたしとソラは、家までの道のりを

ゆっくり、

ゆっくりと、

並んで歩いた。



あたしは歩きながら、ずっと泣きっぱなしで、


ソラはそんなあたしに何度も

「もう泣くな」

って言った。


その声は柔らかくて、

今まであたしの胸を突き刺していた棘はどこかに消えてしまっていた。



……今なら、言える。

ううん。

言わないと、いけないんだ。



あたしは勇気を振り絞って、ソラに声をかけた。



「ねぇ、ソラ」

「なに?」


「この前……ひどいこと言ってゴメンね」



あたしがそう言うと、ソラは黙り込んでしまった。