わたしもグラスに刺さったライムを絞って一口含むと、「陵市? 何か食べる? ピザは? ここのピザ、好きでしょ?」と、陵市に問う。

「……うん。だけど」

「なあに?」

「財布、忘れちゃった」

 これだから。わたしは呆れそうになるのを堪え、「……陵市? 一緒に住んでるのに財布も何も無いでしょ?」と優しく諭す。

「ふふふ。面白いなあ、君達は。っていうか、陵市、お前財布忘れたって言うけど、もし有紗ちゃんが来なかったら、どうするつもりだったんだ?」

 ほくそ笑むマスターの問いに、「つけ」、とだけ呟く陵市。

「つけ!」

 マスターの顔は忽ち真っ赤に染まり、わたしは笑いの止まらなくなってしまったくまさんに、メニューを見ながら「マスター? オリジナルピザをひとつお願い出来ますか?」と注文をし、一瞬間、「あ、あと、ミックスナッツも」と、追加でもう一品、危ない危ない、すっかり忘れるところ。。

「ああ、うん、はいよ。しかし、つけって。まあしょっちゅう来て貰ってるし、良いんだけど。じゃあちょっと待っててね」

 カウンター隅の暖簾を潜って、調理場に入っていくマスター。騒がしかった音がふっと無くなり、間隙を縫って、今まで耳を捕らえていなかったジャズがそよそよと流れる。

 大抵のバーには、クラシックなりジャズなり流れている、と云ったイメージが強くて、これは確かに落ち着く、けれど、何時植え付けられたのだろう、この観念、わたしは何故だか身震いがして、何でジーンズを履いてこなかったのだろう、と後悔した。選りに選って、フレア。一応七分のカラータイツを履いているのだけれど、やっぱり寒い。ジントニックの所為かも? などと考えていたら、「有紗?」と呼ぶ陵市の声、わたしは、「なあに?」と応える。

「俺、もう書けないんじゃないかな、と思ってるんだよね」陵市は、陰鬱な表情そのままで切り出した。