「先生と出会ったのは、本当に偶然だった。先生の家は木が……何だ、鬱蒼としていて、だけど人がいる気配がした。こういう家だって近所からも分かっているんなら、周りとも距離を取っているだろうから大丈夫かと思ったんだ」
 あの日の話だ。わたしは意識が朦朧としていて、自分で見たことや感じたことをよく覚えていない。圭太郎君に手を引かれるままに歩いて、温かいベッドの中で気が付いた。

「ピアノがたくさんあった。しかもどれも、ものすごくいい音がした。そしてそれを、先生は自在に操った。初めて聴いたのは、ホールのグロトリアンだ。あいつ、四年間ピアノを教えくれたあいつよりもはるかに上手くて、あの店で聴いていたどのCDのどの曲よりも大きいように感じた。明確な音だった」
 それから、圭太郎君は先生とのレッスンの日々を話し始めた。
 なぜ、わたしたちがゆうきの園を出たか――逃げ出したかを、軽やかに飛ばした。

 だけど、酒井君にはわたしから話してある。それを伝えないまま、酒井君に全てを委ねることは出来なかった。あまりに後ろめたかった。
「生きていてくれて、ありがとう」
 話し終えたわたしに、酒井君はそう繰り返した。あの、二人で過ごした地震の夜のこと。