でもやはり、それをしてはいけないことを「わたし」は分かっている。
 いつか玲依子さんに言われた。圭太郎君の足枷だって。その言葉のように、わたしのために圭太郎君をここに引き止め、圭太郎君の進んだ道を閉ざしてしまうのは、わたしも望むところではない。
 酒井君ときちんと話をする前に、わたしの衝動的な言動で、酒井君を困らせるのも。酒井君も、自分自身に色んなことを言い聞かせながら、今の仕事をしている。それをひっくり返すようなことをして邪魔をしてはいけない。

「部屋が片付けられているか、心配だったんだよ。早紀も、僕も」
「見てのとおり」
 圭太郎君の声には笑いが混ざっている。圭太郎君は、ときどきひどく取り乱すことがあった。一晩経ってもう平気なのか、気になる。

「少し、時間はあるか?」
 窓を閉め、ピアノも片付けながら、圭太郎君が言う。わたしは酒井君の顔を窺った。酒井君は時計を見て、「15分くらいなら」と答えた。楽譜を持って、圭太郎君は頷いた。
「降りよう」