「僕がプリモも弾けるようになって、お互いがどんな動きで音を出してるのか、タイミングや音量を知り合えってことか?」
「馬鹿じゃないんだな」
圭太郎は立ち上がると早紀の使っていたピアノを見つめる。
「凄いだろ」
「ベーゼンドルファー?」
「やっぱり馬鹿だお前」
僕を笑いながら、圭太郎は移動する。椅子を引いて腰掛けると、ドビュッシーを弾いた。日は高く、空は青い。
「ああ、凄いよ」
早紀が自分のことを上手くない、と言ったのは謙遜で、彼女の弾くピアノは丁寧で確実で、時に力で弾こうとする僕なんかよりも格段に上手い。
圭太郎は満足気に頷いて、指を止めずに続ける。
「あいつも、あんたと一緒で、ピアノばっかり弾いていられる訳じゃない。それにあの性格だ。それを人前に引っ張り出して聴かせようって言ってるんだ、絶対に後悔させるな」
早紀を後悔させるな。
その声は、キラキラとした曲調にまるで似合わない。こんな天気の良い夏の日にも似合わない。言葉の途絶えた部屋に漂って来たのは、紅茶の香りと、それに混じって香ばしい玄米茶の匂い。