今日の演奏会の主役は圭太郎ではなく、地元のオーケストラだ。市民オケとは侮れず、実力はプロに準ずる。指揮者がライスターの教えを受けており、またコンマスが圭太郎の演奏を気に入っていたことから、今回の共演となったそうだ。
 千人ほど入る会場は八割方埋まっており、オーケストラの支持の高さを知る。年齢層はやや高いが幅広い。「お父さん、僕のこと見えるかな」と眉を下げて心配する少年に、その母が「大丈夫よ」と優しい声をかけていた。

 まず圭太郎のソロステージだ。モーツァルトのピアノソナタ。有名な十五番だ。昼下がりの木陰を思わせるような、気負いのない、心地よい時間が流れる。ここがコンサートホールでなければ、コーヒーを飲みながら、他愛ないおしゃべりに興じるのが丁度いい。人びとの会話、食器のぶつかる硬質で軽快な音、風のささやき、そして音楽。モーツァルトが生み出した音楽の本来の役割をおもう。
 第三楽章まで終えて、会場を拍手が覆う。圭太郎が立ち上がり、ゆっくりと礼をした。顔を起こしたとき、ふっと息が漏れたのがわかる。拍手に応え、再度お辞儀をし、今度は笑みを漏らして右の掌を下手の袖に向けた。壮年のバイオリニストが入場する。舞台上で二人はしっかりと握手をし、このオーケストラのコンマスは楽器を構えて、圭太郎は椅子に座った。

 二人は目を合わせ、バイオリニストが小さく体を揺らして音楽が始まる。クライスラーの『愛の喜び』だ。プログラムで知らされていなかった曲目で、会場にはにわかにどよめき、いや、歓声が起こる。
 明るくはつらつとしながらも、巧みな緩急は息が合っていて、その名のとおりに甘美な演奏だ。三分余りの小品であるが、場の雰囲気をがらりと変えてなお観客の心をつかんでいる。最後の一音でバイオリニストの弓が、そしてピアニストの腕が宙に放たれると、大きな拍手が沸き起こった。