「ごめ……忘れてて……ごめ……んなさ……ッ」

 彼は、私を恨んだだろうか。
 彼と過ごした時間を忘れて、のうのうと過ごしてきた私を憎んだのだろうか。

「憎んだり、恨んだりしてる訳ないよ。美夜が笑っていられるなら、それだけで幸せだった」

 桜が散る
 儚く、脆く

 蒼井は私の傍に寄ると、俯く私の顔を覗き込んで微笑む。

──不意に、唇が触れた。

 もう忘れたくなくて、泣きながら彼を真っ直ぐに見る。しゃくりながら何度も何度も彼に"ごめんなさい"と言った。

「美夜、ごめん。思い出させてごめんな」

 私は首をふるふると振る。
 私は何度だって自転車で引き返す事が出来た。
 それをしなかったのは、私が思い出したいという意思を持っていたからだった。

「……本当は思い出させたく無かった。だけど、美夜が何か俺を連想する事が起きる度に、パニックを起こしているのを見ていたら、このままだと美夜の将来がダメになると思ったんだ」

「……あ、おい」

 名前を呼べば、蒼井はニコ、と笑う。

「……美夜」

 目を瞑って手を出すように促されたので、素直に従う。

 手のひらに何かの感触を感じた時に、手を握って目を開ける様に促された。

「あの日、美夜を家まで送り届けたあとに、俺は家の前でこれを渡そうとしてたんだ。けど……その途中で事故に遭ってしまった」

 私が手を広げようとすると、静止させられた。

「それは美夜のものだから、美夜が持ってて。でも、身につけるんじゃなくて、お守りとして持っておく程度にして欲しいかな」

 蒼井は照れた様に笑うと、私と距離を離していく。

「行かないでッ!!」

「美夜、泣かないで。ちゃんと前を見て。美夜は生きているんだから、幸せにならなきゃ駄目だよ?」

 視界を覆うくらいの沢山の花びらが舞う。
 手を伸ばしてもがいたって、桜は視界を独占したままで。
 はらはらと落ちる様になる頃には、蒼井の姿は何処にも無かった。

──この世界の何処にも、蒼井は居ないんだ。