その日(十一月二十五日)、お松の方は、西向きの部屋に籠もり、阿弥陀経を写経していた。 
牢人中の本居惣助が早馬から飛び下り、御台屋敷御門から駆け込んで、悲報を届けたのは、巳の刻下がりである。
「御台様、お気を確かに持ってお聞きくださりませ。今朝、田丸のお城で御次男、長野次郎具藤様、御三男、式部少輔親成様、御息女、小坂御前様(坂内兵庫頭の妻)、坂内兵庫頭具義様、千松丸様、織田信雄の手引きにより御生害なされました」
「……」
 お松の方は言葉もなくその場にくずおれた。異腹ながら北畠次男具藤十九、三男親成は十七、その幸福と長寿を波瀬川の大岩に祈願した長女小坂御前は二十三の享年、加えて孫の千松丸はわずか二才で生涯を閉じたのである。
「千代は…」
 祈るようにお松の方は、信雄に嫁した雪姫の名をかすかに口にした。
「御無事でおられます。が、織田方は三瀬谷の大御所にも刺客を放っております。ために、御心痛はなはだしく臥せっておられる由に……」
なぜこのような不幸に突然、襲われなければならぬのであろうか、
『祈ったではないか、…常処女にて、…常処女にて、と何回、吹黄刀自の歌を祈り言葉として、娘たちの幸福と長寿を祈ったことであろう…。この地に居るかぎり、朝な夕なに波瀬川に降り立って、正室として娘たちの平安を川中の大岩に祈ったではないか。この世には神も仏もおいで候はずや…』 
一番恐れていた結果がどうして真摯な祈りの後に顕現しなければならぬのか。衝撃と絶望の中でお松の方は呻くように呟いた。