お松の方も具教と一緒に一時、三瀬谷山里丸に逼塞していたこともあったが、具教の寵愛する側室に徳松丸だけでなく、亀松丸まで誕生するに至ったため、堪えきれなくなって、仏門に入る覚悟で、侍女の浜野とお倉を連れて、再び御台屋敷で住まうことを覚悟していたのだ。
 新婚当初具教との仲も睦まじく、御台屋敷は明るくて楽しい所であった。正月が来ると田丸、坂内、大河内、波瀬の一族を招いて、松姫自慢の歌留多でよく万葉百人一首歌合わせをしたものである。
 やがて具房が誕生すると松の方は、吹黄刀自が十市の皇女の永遠を願ったという波瀬川の大岩に、子の幸せと一族の安泰を祈るようになった。しかし、わが腹を傷めたただ一人の子は病弱で肥満、成長の遅い愚鈍な子であった。
それでも九代国司を継いだが、判断力のなさが災いして、いとも簡単に織田方に手名付けられて、疑うことも知らずに追従し、御家の将来を一層混乱させて、とうとう国司職を信雄に奪われてしまった。夫は夫で、愛する末の娘雪姫の婿に信長が茶筅丸を押しつけ、御家を乗っ取った頃から、すべてが面白くなくなったものか、わが娘の歳程の側室を寵愛して、次々に赤子を生ませている。
 お松の方にとってこれほどおぞましく感じられることはなかった。それでもお松の方は正室として一族の安寧を波瀬川の大岩に祈らずにはおれなかった。
 あの神聖な岩群は、さざ波揺蕩(たゆと)う川の清らかな流れに岩肌を洗われ、草一つ生えないで、なんと瑞々しく永久(とわ)の趣を感じさせていることか。
 川べりに立ち、大岩を見ているとお松の方のこころも洗われるのである。御台屋敷にいて、川に降り立ち、岩に祈ることが日々の救いであった。