具教が目の中に入れても痛くないほど可愛がった娘の小坂御前は亀千代をあやしながら松の方の無事を喜んでくれた。この坂内御所には具教の寵愛する内室お鈴の方もいる。お鈴の方は次男具藤、三男親成、長女小坂御前、次女千代御前の生母であった。松の方は二日で具教のいる坂内御所を辞退し、与志摩を連れて再び波瀬川畔の波多の横山にある御台屋敷へ帰った。
 茶筅丸は十月下旬、大河内城に入ることになった。
 信長は茶筅丸が若年であることを口実に、多くの腹心の武将に守らせ、津田一安を南方奉行に命じた。その後、滝川一益に安濃津、渋見、木造を、弟信包に上野の城を守らせる仕置きをし、霧山城、田丸城を始め伊勢の諸城を取り壊すように命じて伊勢神宮に参拝、山田の堤源介の邸に泊まり、九日に千草越え、十日、近江市原泊まりで上洛、伊勢を去った。