担ぎ込まれた藤吉郎は半日、御台屋敷で横になっていたが、夜になると熱も下がり、腫れも引いて元気を取り戻した。
 だが、半日の遅れを取ってしまったため、波瀬城や霧山城の北畠家中を塞き止めて大河内城に合流せぬよう釘付けにすると言う初期の目的は達せられなかった。
 波瀬御所と称された北畠一族波瀬蔵人具祐は侍三百、足軽二百、合わせて五百の大将であったが、秀吉が御台御所で介護されている頃には、既に大河内入城を果たしていた。前夜の内に、与力矢川下野守、阿曽弾正、出丸四郎太夫、奥山常陸介らと井ノ口を脱出していたのである。
 ぐっすりと休んだせいか、痛みも取れて気分の良くなった秀吉が下知する。
「半日も遅れを取るとは情けなや。殿にお叱りを受けるに違いない。大河内城に向けてただちに出立じゃ」
 立ち上がったところへ滝孫平次が進駐に及ぶ。
「御大将、この屋敷内に北畠の奥方が匿われているのをご存じか」
 それから厳しい詮議が始まり、とうとう侍女のお倉が、お松の方の御台屋敷であることを白状した。
 その日から松姫は佐々木与志摩ともども木下秀吉の捕虜になった。秀吉は、治療のため立ち寄った館(やかた)で、敵軍の奥方を捕縛するという思わぬ戦果を得る。
「北畠正室と女佐の臣を人質として大河内城まで連れていく。孫八郎、そちに預けるゆえ、確と見張れ。大事な人質じゃ」
「承知仕った」
「先に参る。遅れるでないぞ」
 秀吉は先駆けして見えなくなった。