「孫平次、何処ぞ兄者を休ませるところはないか」
 振り返って滝孫平次(後の中村一氏)に尋ねる。
「あれに手頃な武家屋敷がみえまするが」
「…孫八郎、井ノ口の波瀬城までどのくらいの距離じゃな」
 今度は孫平次の弟孫八郎(後の中村一榮)に聞いた。
「半里程かと…」
「それほどの距離があるならば、あれでよい。あの家に兄者をお連れ申せ」
「承知仕った。安全かどうか、右近ら我が手の者に確かめさせることにいたしましよう」
 滝孫平次配下の騎馬七、八騎が偵察のため川縁の武家屋敷めざして駆けていく。太股の矢傷に馬上で気を失った秀吉は弟秀長の配慮により、川縁の武家屋敷で一時休息することになった。しかし、その瀟洒な武家屋敷こそ、正室松姫の住まう御台屋敷であったのだ。
「御台様、織田の兵らが、屋敷を借りたいとと押し入って来ました。仏間からお出になりませぬように……」
 与志摩は慌ただしく松姫に知らせて、ふたたび織田の兵士の対応に走った。織田の士卒は土足で上がり込み、襖を開け放って各部屋を改める。
 仏間に籠もっていた松姫も、与志摩や侍女たちが拘束されている部屋に引き立てられた。
やがて門口に馬蹄の音がして、勢い良く五、六人の侍大将が上がり込み、次いで二人の武将に肩を支えられて総大将と思われる男が担ぎこまれた。
「北畠に仕える者か、名を名乗られよ」
 弟滝孫八郎が佐々木与志摩に尋ねる。
「只今、主家より勘気を被る身なれば名乗るを差し控えたい」
 与志摩は松姫の身を案じて出任せを言った。すると、その時であった。
「御貴殿、もしかして佐々木殿ではござりませぬか。…近江の…」
「…………」