「わたくしが正室で具房の母であることなど、織田の者たちに分かりはせぬ。言わねばそれですむことじゃ。わたくしのことで北畠に迷惑が掛かるようなことがあれば、その時こそ死に時と言うもの。立派に死ねばそれで済むこと。心配してくれずともよい」
「…この六月に伊賀音羽に滞在のお屋形さまにお目通りいたしましたが、その折り、お屋形様は万が一の時は松姫様を伊賀音羽の里にお連れせよとお命じになられましたぞ…」
「それは兄上の心得違いというもの。信長に観音寺城を追われて伊賀に退去なされた兄上は気弱になっておられるのじゃ。…一旦、国司家に嫁いだわたくしがどうしてそのような真似ができよう。出来るはずもない。わたくしの最期は北畠に嫁いだ者として死なねば
ならぬのじゃ。…よいか与志摩、あの時、兄上はな、そなたが兄上から託された短筒で私に国司家の正室として潔く死ねと言うておいでなのじゃ。兄弟じゃゆえ、兄上のお考えはようわかるのじゃ…。与志摩には近江をはなれ、この伊勢の国で女佐の臣としてようわたくしに仕えてくれた。わたくしが奥深い霧山の城で心強くやってこれたのもすべて与志摩のお蔭じゃ。改めて礼を言わねばなりませぬ。ありがとう……。そなたが殿のもとへ帰り北畠と命運を共にするならばそれも好い。また兄上の随兵として、伊賀へ行きたければそれでもかまわぬ。好きにするがよい」
「何をおっしやいますか、勿体ないお言葉、それ程までにおっしゃるならば、与志摩もこの御台屋敷で最期までお方様のお供を仕ることに覚悟を定めましょう」
 この地に留まることを決意した二人が波瀬川の畔(ほとり)から御台屋敷に戻ってみると、本居惣助、北畠国永、金児二十郎らが遅しとばかり待ち構えていて急き立てた。
「御台様、お急ぎくだされ」
 そこで、与志摩が御台屋敷に留まることを告げると、惣助も納得して言った。
「私は大河内城の殿のもとで最期まで織田と戦って参ります。殿にお言付けがございますればお申しつけ下さりませ」
 しかし、松姫は何も言わなかった。