松姫は北畠へ嫁いだ最初の正月、夫具教とともに姑を一志片野村の別邸に訪ねた。具教の母は細川高国の娘で羽林の母堂と呼ばれ、片野村は御台御料所であった。年賀の挨拶を済ませ、しばし談笑した後、母堂を囲み、松姫、それに母堂に仕える侍女たちも交えて百人一首歌留多をすることにした。何回か小倉百人一首を繰り返した後、松姫は姑に万葉百人一首歌留多を披露した。それは、夫の勧めもあり姑に見せるため城から持参したものである。
 誰もが、その歌留多の美しい絵や文字に心を奪われ、次は、これを用いて歌留多遊びを続けようということになった。万葉百人一首は珍しいこともあって、その日は皆こころから打ち興じた。

 かわのへの ゆつゆわむらに 草むさず 
常にもがもな とこをとめにて

 何首目かに、侍女が吹黄刀自の歌を優雅によみあげた。その時、得意とする松姫よりも先にこの歌留多を払い取った者がいた。その者は萩野という侍女で、札を収めながらこの歌について知っていることを述べた。
「御台様、刀自のこの歌は、ここから少し先の波瀬川の畔で詠まれた歌にござります」