「甲斐の太守信玄公の甥っ子に生まれながら血の通う一族の長、勝頼殿を裏切り黄金二千枚を献じて信長に下った汚い男じゃ。世話になった勝頼殿の御恩に報いるために、梅雪の謀叛故に皆殺しとなった武田一族の仇をわしが討ってやる。それに恵林寺で我が影武者となり死んでくれた勘助の仇も討てる。この機会を逃すようでは、後人の謗(そし)りを受けることになる」
それを聞いていた正成は、三之丞のところへ引き返し言う。
「どうせやるならもう少し人数を増やした方がよい。山口の侍に言うて奴らがかり出した郷民を二十人ぐらい借りてくれ」
「交渉してみよう」
 今度は三之丞が市野辺出雲守の方へ歩いていく。
 逃避行程の中で、徳川家中の一部に潜行していた穴山梅雪の暗殺計画はこのようにして急浮上するに至った。
 家康の一行は時を惜しむように興戸の渡しからさっと木津川を渡って視界から消えた。
「穴山の一行は殿様の心を疑い、同道することを拒んだ。もうすこし下流より渡るに違いない」
 正成は飯岡の河岸に残った四十人ほどを北に移動させ、川原に繁る葦の葉陰に皆を隠した。
「ちょいと見てくる」
 正成が言ったとき、
「あれは違うか」
 又市が指差す一休寺の方角から草内の渡しに下りてくる十四、五人の騎馬の一団がある。