又市は今でこそ宇治郷に移り住んでいるが、彼は二十二歳になった元亀二年(一五七一)から徳川家康に仕え、三河土呂郷(現岡崎市)で百石の采地を与えられて製茶技術を指導していた。
葉茶の栽培は米作よりも手の掛からぬものである。従って、一年の大半が農閑期に等しく、この間は服部正成らと各地の情報を収集して家康のもとに運んでいた。そのような関係で正成とは知己の間柄であるが、もう一人の方を知らない。
それを察して正成が事情を説いた。
「柘植三之丞じゃ。昨年の伊賀攻めの時、国を脱して三河に参った。…実はな、又市、後を、穴山梅雪の一行がやって来る。十四人じゃ。ここで始末したい。十人程腕の立つものを出してくれぬか」 それを聞いていた高定が言う。
「殺(や)ろう、又市」
「殺ってもいいが…十人では、分が悪い…」
 高定の意を受けた又市が正成に言った。
「あそこに控える服部貞信の手勢も加わる。勿論、わしらもやる」
「ならば殺ろう…」
 又市が父五郎八の姿を目で追うと、徳川の行列について掃部丞と渡し場の方へ行っている。