掃部丞は礼をいい、母のもとを立って別棟にある製茶工房に向かった。そこは、五十程の焙炉のある土間で茶誘と言われる節労働者が三百人ほど忙しく立ち働いている。弟の三四郎、権之助、又市の三人も茶誘の間を額に汗して走り回っていた。掃部丞も着替えて労働の群れに身を投じた。
一刻程が経過して、茶園に出ていた五郎八が戻って来たので昼食のため弟らと母屋の台所へ行った。
 食膳に座しかけた時、手代がやって来て早馬で駆けつけた客があることを告げた。
「何者じゃ」
「津田正時殿の使いの者と言うておいでにござります…」
 津田一族は北河内や南山城一帯に根を張る上林茶の得意先だ。
「主(あるじ)からにござります」
使者は食事の場に通されると、掃部丞に書状を差し出した。開いてみると、
『三河殿が伊賀越えで帰国されるので信楽まで供奉するように』
と書いてあり、差出人は家康の堺での案内人、長谷川秀一と徳川の家臣本多忠勝の連署で、宛先は上林の惣領掃部丞(久茂)と四男、又市になっている。
 掃部丞は使者を別間に通して昼食を出し、その間に父五郎八や弟たちと対応を協議した。