掃部丞が答えると、妙秀尼は深く頷いて、
「顧みると、ばばが昔は、戦ばかりの乱れた世であった。強き者が己の力に頼んで弱き者を退け、己の権勢を掴み取ろうとする容赦なき時代であった。人は生き延びるためには義に叶わぬこともなさねばならぬ。しかし、まことの人の世とはそのようなものであろうか。まことの人とは、己の強きに頼まず、慈悲の心を持ち、弱き者の痛みに思いを馳せることの出来る人を言うのであろう。人らしく生きていくためには、己の所業一つ一つに懺悔の思いを込めて省み、己の滅罪のために苦行修行に身を置くことが肝要じゃ。後世の契約は苦行修行の果てにある。それが人の定めであろう。そのような思いをこめてみた。この世に生き長らえて得たばばの遺戒じゃ」
 この日、妙秀尼は上林の茶に『祖母が昔』と銘打って、わが子を教導したのである。
「戦いの世はまだまだ続くであろうが、日々の行いを自省して人らしく生きよ。決して傲慢になってはならぬ。慈悲の心を持ち、滅罪のために苦行修行に我が身を置かねばならぬ。さすれば尊敬と信頼を得て、戦いのない世の到来も可能となろう。その時、ひとは皆成仏出来るのじゃ」
「確と、こころに刻みつけまする。なによりの御馳走にござりました」