「佐々木二郎に相違ないか」
 光秀が勘助に向けた尋問に、
「相違ない」
 勘助と頼芸はほとんど同時に答えた。若狭の武田五郎と名乗った方は、間違いなく当人であることは光秀も知っていた。なぜならば五郎の姉が光秀の母であったからだ。長らく会っていないとはいえ叔父の顔を光秀が忘れるはずはなかった。しかし、佐々木二郎の方は光秀には当人であるかどうか分からなかった。明智十兵衛と名乗り承禎に仕えていた頃は、二郎高定は未だ元服に達せぬ少年であり、大原高保の養子になっていて観音寺の城で会うことはなかったからである。
「こ奴らを匿い、武田と一体して織田を敵とした快川紹喜、および恵林寺の過怠は償うてもらわねばならぬ。ただちに恵林寺に火をかけて棄却せよ。寺も僧もすべて焼き払え」
 信忠の命令を受けた部隊が境内に侵入し、寺内の僧侶から稚児にいたるまで一人も残さず楼門へ追い上げた。階下の薪の上に別部隊が藁を積み上げていく。
 やがて、奉行に命じられた将卒が火を放った。周辺に黒煙が立ちのぼり、猛火は忽ちのうちに燃え広がった。そのうち次第に煙がおさまって炎だけが轟々とあがり始めたとき、光秀や頼芸は目も当てられぬ酷い光景を目撃した。
老若の僧侶、稚児、若衆ら合わせて百五十余人が炎の中で躍り上がり、跳び上がり、灼熱地獄の中で、互いに抱きつき、悶え苦しんで死に絶えていく阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
その中で群僧の首座にある快川和尚だけは微動だにしない。
「碧巌録に思いをいたし、最後の修行をいたそう。安禅必ずしも山水をもちいず。心頭滅却すれば火おのずから涼し」
 灼熱の中で、一同に呼びかけた快川は最期の偈を唱えて死んでいった。やがて楼門は焼けくずれて瓦ごと大きく落下し、人肉の焼け焦げる匂いが鼻を突いた。快川和尚も群僧も稚児もすべてが灰塵と化す。