その時である。山門を駆け下ってきた二騎があった。馬上の武者は抜刀している。
 多勢の織田軍めざして、死を覚悟しての討ち入りと思われた。
先頭の武者は目結の鎧を纏(まと)っている。後に続く武者は鞍に武田菱の家紋が入っていた。
二人とも一軍の将に相応しい武者姿である。二騎は群がり寄る織田の軍兵を数人なぎ倒した。
「殺さずからめ捕れ」
 信忠が命令する。長槍を持った雑兵が十数名前面に出て二騎を取り囲む。同時に銃声が響き、馬が撃たれて横転、落馬した二人は取り押さえられた。
「連れてこい」
 再び信忠が命じる。引き出された二人は四人の奉行衆が吟味した結果、目結の鎧の武将は佐々木二郎高定、武田菱の鞍を置いていた武将は若狭武田の五郎信景であることが判明した。
「武田五郎信景に間違いないか」
 信忠は土岐頼芸に尋ねた。
「相違ない」
 頼芸は悲痛な面持ちで答えた。
 武田五郎信景の方は、間違いなく当人であった。武田氏は鎮守府将軍源頼義の三男新羅三郎義光の子義清が甲斐国市河庄に配流されて、甲斐国北巨摩郡武田村に住んだことから、武田の冠者と称された。