その時、国師の後ろに座っている長老が声を発した。
「光秀、わしを覚えているか」
国師の影に隠れて、その面容を定かに捉えることが出来ない。
光秀は立ち上がってそこに座る老人を見据えた。
「…土岐のお屋形様では……」
 声の主は土岐頼芸であった。光秀は父と訪れた南泉寺で主家筋に当たる土岐頼純、頼芸の兄弟に幾度も会っている。
といっても、四十年も前のことで、光秀がやっと十五歳になって元服したての頃であった。今、頼芸を思い出すことが出来たのも、快川紹喜からの連想のせいで、その頃も頼芸はいつも快川和尚と共にいたのである。
「光秀、寺は守護不入、武家の権力は及ばぬ。朝廷により保証されているこの権利が信長により覆されるようでは、帝の存続さえ危ういと思わねばならぬ。土岐家は貞純親王を祖とする清和源氏。頼光、頼政と続いた武門の誉れ高き家筋じゃ。取り分け、鵺退治で名高い頼政公は治承三年、以仁王を戴いて平氏打倒の兵を挙げ、宇治の平等院で壮烈な討ち死にを遂げられた。その血をひく光秀が、誇りも信念も捨て去って、平氏を称する信長の走狗に成り果て、わが大導師、大通智勝国師が住持を勤め、土岐家と祖を同じくする清和源氏、信玄公の菩提所、恵林寺毀壊(きかい)に手を貸すとは本末転倒も甚だしい所行と言わねばならぬ。慎め、光秀。そなたは帝より丹波平定を賞され下賜(かし)の品まで頂戴したというではないか。賢きあたりにおかせられてもそなたをたよりにされているのはそなた自身が一番よく知っているはず。光秀、自分の心に恥じることをするものではない」