高定と幸姫の間には、この年、六歳になる耀姫がいた。耀姫は母とともに恵林寺に匿われていたが、熟睡中を起こされ、母親に抱かれて眠ったまま剃髪、それが終わると、急いで僧衣に着替えさせられた。二郎高定、若狭の武田五郎信景、大和淡路守孝宗らも剃髪して僧衣に着替えた。  
 
 それぞれが脱出の準備を整え山門に集合したのが三月十二日の未だ開けやらぬ払暁である。
「一緒に行動すれば、多すぎて、かえって疑われる。ここは二手に分かれて落ち延びたほうが良い。二郎殿は奥方と耀姫を連れて一刻も早く立たれるがよい。御家来衆は確とお守りして行かれよ。わしは、淡路守や上福院らとすぐ後を追う。さ、さ、はよう行かれるがよい」
 武田信景の提案に従って、先ず、尼僧姿の幸姫母子を中にはさむようにして高定、本次左京進、辻和泉守、久内、鹿之助らの一団が表向きは京都妙心寺めざして山門を発った。
 それからしばらくして脱出の第二陣の三名が発とうとした時、武田信景がまた言った。
「そなたらは早く高定殿の後を追ってくれ。わしは、武田の祖廟に参ってからすぐ後を追う。必ず、追いつく故、わしのことは心配するな」
 大和淡路守孝宗と使僧上福院の二名は武田信景の言葉にせき立てられるように恵林寺を出発した。
 脱出の際、一人だけ恵林寺に残ることになった伊賀者がいた。勘助である。高定は勘助に、恵林寺に残ることになった叔父土岐頼芸の警護を命じた。
別れの際、高定は勘助とは今生の分かれになると察して、形見に自分の兜と目結の鎧を与えている。