「信長のことじゃ。武田家縁(ゆかり)のこの寺にも火を放ち、棄却することであろう。二郎殿、五郎殿、それに、将軍家御走衆の方々、今のうちに、立ち去られた方がよろしかろうとぞんずるが…」
 快川国師が高定と信景に甲斐退去を促す。
「この歳では、わしは無理じゃ。二郎、そなたらはわしにかまわず、今の内に行くがよい。幸姫や耀姫も今のうちなら間に合う…」
 土岐頼芸も甥の高定に諭した。
「叔父上もどうか我等と一緒に…」
「二郎、わしらが甲斐の武田を頼ったのは、この寺に快川がいたからじゃ。わしは快川と一緒にここに残る…。ここは信玄公の菩提寺、快川は大導師として寺と運命を共にする立場にある。快川は南泉寺以来長年にわたるわしの尊崇する国師じゃ。また、国師は土岐家の大導師でもある。…すでにわしは八十の長寿を迎えた。これ以上、生きようとは思わぬ。匿うてくれた信玄殿のご恩には快川と共に寺に身を捧げることで報謝する覚悟じゃ。そなたらはまだ若い。どうか捲土重来の思いを胸に、どこまでも生き延びるがよろしかろう…」
「高定殿、お屋形様の言われる通りになさるがよい」
 快川国師は土岐頼芸より一つ年上の八十一歳であった。 
二人の長老に恵林寺退去を懇請された高定はその夜の内に、脱出の準備を整えた。