高定はまたかと思った。今までにこのような場面は幾度となく経験したことがあった。おおかたの予想どおり、勝頼は、一途に兵衛信茂の忠誠を信じ、それに従う意を述べた。
「それではこれより所領に立ち返り、お迎えの仕度を整え、ふたたび参じますので、その間、一先ず古府中へご避退くださりませ」
 信茂は平伏すると、深々と頭を下げ、せかれるように退席していった。十人にも満たぬ評定であったから、信茂が退散すると、絶望を押し包むその場の寂寥は深まるばかりであった。
 翌早暁(そうぎょう)、未完の新府城に火をかけた勝頼主従、女房衆も含めて六百余騎は古府中へ向けて退却していった。撤退するにあたり勝頼は高定を呼び、今日に至る参陣を労った。
「長い間の参陣、ご苦労でござった。そなたは近江の太守、将軍家にはよしなに伝えてもらいたい。千載一遇の機会あらば、そなたには是非とも信長を倒してほしい…。幸姫を幸せにな…。生きながらえればおそらく武田の血筋を伝える唯一の人となるでござろう…。さらばじゃ」
 これが高定の見た勝頼の最後の姿である。