一年近い年月と労力とを投じて完成を急がせた新府城である。だが、僅か数カ月で織田軍が侵攻してきたため未完成のまま放置され、百人ほどの兵士でさえ籠城することが出来ない有様だ。仕方なく勝頼は評定を開いた。その席で十六歳の御曹司信勝が意中を吐露する。
「お父上は古府中のお城は堀一重の屋敷構えであると不足に思われ、これを法性院信玄公のお考え違いとし、長坂長閑、跡部大炊之介、秋山摂津守、典厩信豊などの人々と信玄公を悪しざまに言われ、この城を構えられたのです。いまになって未完成であるからとここを捨て、古府中に戻られるのは武門の者の名折れではありませぬか。古府中のお城をことごとく取り壊し、武田二十七代の昔より伝わる泉水を壊し、二抱えもある古松を切り倒されたのは、あとに心を残さず、この城に早く移るためではござりませなんだか。古府中に戻ろうとも、すでに何処にも籠もるべきところはありませぬ。寄る辺なき山野をさすらい逃るるよりも未完の新府城にて、御旗、楯無の鎧を焼き、この場に尋常にご切腹なさるべきかと存じまするが…」
 その声には勝頼側近に対して、敗戦の責任を問う響きがあった。
聞いている高定も信勝のそういう思いは充分に理解出来た。勝頼は高定らの客人衆に対しても誠実でやさしかった。だが、その優しさに勝頼側近は甘えた。