大宰府までの往路、大伴旅人は、鞆の浦のむろの木に妻と二人の安全を祈願した。任果てて帰京の時、彼は再び鞆の浦に入港するが、ともに祈った妻は身罷っていてすでにこの世にはいなかった。人の世のはかないことを旅人は嘆く。

 久野姫は鞆の浦に来てから、何度もむろの木に一族の無事を祈った。波野姫も夫や子の武運長久を祈ってきた。
 この日は、皆で、むろの木に五郎信景の往路復路の安全と甲斐での武運長久を祈った。
 
 たとえ旅人のこの歌が将来を予告するものであったとしても、久野姫は敬愛する従兄弟の無事を、心から、この木に向かって、祈らずにはいられなかった。

 夕焼けの空を、鳶が悠々と舞っている。夕凪の鞆の浦は、淡い光のなかで、祈る人たちを優しく包んでいた。瀬戸内の空と海は、いつまでも赤く、美しく、夕映えの慈光を湛えている。