この地に住み着くようになってから、松姫が、日がな一日、暇さえあれば波瀬川に降り立ち、水に、川に祈っていたことを村人から伝え聞いた。その話を聞いた時、孫八郎は、同じように水に祈った薄幸の奥方をもう一人思い浮かべることが可能であった。それは兄弟で攻め滅ぼした甲賀小佐治の佐治美作守為祐の奥方である。
 孫八郎は小佐治の奥方に同情したが、粛清された北畠一族も憐れだと思い、悲惨な最期を遂げた松姫にも同情した。
 土地の者は言う。北畠が滅亡した時、一天にわかにかき曇り、山川鳴動して、白竜天より下った。その瞬間、波瀬川が源を発する矢頭山中に忽ち巨大なる竜石が出現したと…。
 その伝承を聞いた孫八郎は、お松御前に水神としての神格を与え、埋葬の地を『御前山』と呼ぶことにした。
 お松御前を辰御前に置き換えてその悲惨な死を伝え、戦乱の世に虚しく消えた佐治の奥方と松姫の冥福を同時に祈ろうとしたためである。それはまた戦国の世に無辜の多くの人を殺戮した己が罪を許し乞う営みでもあった。