彼の「愛してる」には、あまりにも苦しみが滲んでいた。そして私はその苦しみに気付かない程に彼の事を知らない訳ではなかった。

そして、私の中で信じるという事のバランスを必死に保とうとしていたバリアが、静かに崩れ落ちたのだ。それは積もりすぎた雪が雪崩を起こす事と同じであったし、流れた雪は元には戻らない。
信じる、と信じていない、はいつも私の中のバランスを必死に保っていてくれたからこそ、私は彼の前でいつも彼の言う言葉を無条件に信じていた。
「愛してる」の言葉が無いからこそ、私の想いを恐れずにぶつけられた。そして、彼の言葉を信じて尚進み続けてしまったら、苦しみは彼へのわがままと変化してゆく。
私の求める事は、彼に幸せでいて欲しいという事。それでも彼に愛して欲しいと望んでいた。その「愛して欲しい」という想いは届かない願望であるからこそ、今までのかたちを彩っていた。二つの願いのバランスはそうして保たれてきたのだ。けれど、愛される事を望む私とわがままを言わない私の兼ね合いは、もうつかなくなってしまった。
彼が愛してくれていると思う事は、痛々しい罪にしかならない。そしてその罪はお互いの周りの空気を重くし、にごらせては真実をより濃いものにする種類のものだ。
彼と私の愛情が等しくないと思う事によって保たれていた均衡は、崩れてしまった。

願いが叶うと共に、私は自分の届かない世界にある幸福を垣間見る事となったのだ。