時が過ぎれば忘れ去られる命なんて、ごまんとある。
古びた墓石の花はすでに枯れていて長い間代えられた様子はない。
初夏というのがぴったりな青い空。
雲が時々太陽を隠して作る日陰に沿って歩いた一本道を抜けた所にある墓地には、俺を除いて猫が数匹いるだけだった。
「あーあ」
独り言を一つ、俺はしゃがみこんで茶色く変色したカラカラの茎を柔いくらいの力で掴んでやると、弱った葉がゆっくりと落ちていく。
あの人は、こうやって堕ちていった。
彼女は昔から良く言えば芯のある、悪く言えば強がりな人間で、弱っていく体を一番知っているのは自身なのにも関わらず、俺がやってくると笑っていた。
薬の副作用で痛む体も、苦しい呼吸隠しながら。
―…私まだ、生きてるよ
冗談でも笑えなかった俺の手に冷たい手を重ね、暖めるなんて到底無理だというのにゆっくりと包みこむ。
死んでいく人間と、残される人間。
辛いのは、一体どちらなのだろう。
―…なのに、どうして泣いたりするの
強がりな言葉と裏腹に弱々しい声色。
忘れ去られる恐怖を、彼女は知っていた。
それでも、笑っていたというのに。
新しい花を挿して頭から水をかけると、少し暖かくなった墓石が冷えていく音が聞こえた。
白黒の背景に、鮮やかな色が付く。
空は相変わらず青い。
彼女が息を引き取った日も、こんな色だった。
俺は立ち上がり、彼女に背を向けた。
様子を見にきた猫達が、遠巻きにこちらを観察している。
「帰るか」
周囲が、空気が、土が、両手が、お前の温もりを忘れてしまったのに、俺はお前を忘れられないでいる。
おかしな話だ。
人は忘れるというのに。
彼女が知ったら怒るのだろう。
なんて女々しいの!って。
でもそうすれば、少しはお前も怖くないだろ?
「また来るよ、綾」
蝉が飛ぶ音がした。
fin