ヒゲをせわしなく動かして
一歩踏み出すのに10秒戸惑う。

ベッドから
だらりと落ちた男の手に
近づいて鼻をひくつかせる。


猫は男の手を
不思議そうにながめた。


「…ん」


男がピクリと動くと、
猫は大慌てで部屋の隅っこへ逃げて行った。




10分後、冷蔵庫の裏から
綿ぼこりを体につけた仔猫が
やっと出てきた頃、
男は何か夢を見ている。


悪酔いの影響か
それとも、男の現実が影響を与えているのか、
歪んだ顔には
脂汗がにじんでいる。



「っつ……んあ゙ー…」



シーツを固く握りしめて
唸っている男を
机の下から
おっかなびっくりながめていた猫は


“にゃあ”


と鳴いた。


男を現実に呼び戻すように。

まるで、男を心配するように。



男は一瞬、
ピタリと動きを止める。



“にゃあ”



仔猫はふわりと
ベッドに跳び乗った。


男がうっすらと
目を開けると、

自分を覗き込む
ほこりまみれの仔猫の
漆黒の瞳がそこにあった。



“にゃあ”



さっきまでの、
恐怖や警戒をすっかり取り去った、
ただ、ただ甘えようとする
やわらかい声で。



男はじとりと冷や汗をかいて、震えている手で
そっと仔猫を抱き寄せた。



「……もう少し、そばにいてくれよ…」



寝言のような

すがるような

懇願するような

男の小さな声を
聴いていたのは

世界中で、
この小さな猫だけ。