紀紗はゆっくりとピアノに近付く。
そして鍵盤に指を落とす。


紀紗のピアノを聞くのは久しぶりというわけじゃないけれど、この『ピアノ』を弾く紀紗を見るのは本当に久しぶりだ。
前は毎日その姿を見ていたっていうのに…。

この練習室のピアノは…紀紗にとってはやっぱり特別だ。
もちろん俺にとってもだけど。
このピアノが…一番素直に紀紗の気持ちを表してくれる…そんな気さえする。

紀紗は俺の指示を読み違えることなく、スラスラと奏でていく。
だけど時折、紀紗っぽく弾く部分があって、それもまたよく耳に馴染んだ。


弾き終わると、紀紗はそっと鍵盤から指を下ろした。
そして俺の方へと向き直る。



「凄く弾きやすかった…。どうして…？」

「俺が紀紗をイメージして作ったから。」

「え？」

「紀紗の指先ならどうやってこの音を奏でるのかなとか、そういうことを考えながら作ったからね、この曲。
紀紗のクセとか、紀紗ならここをこうやって弾くだろうなーとか。
本当に紀紗のことを想い浮かべながら作った曲なんだ。
まぁ…そういう風に曲を作ったことがなかったから難しかったけど…。
でも、すごく楽しかった。」

「…私…悠夜が想像してた通りの演奏してた…？」

「大体は…予想通りかな。
予想よりも紀紗っぽく弾いてた部分が上手かったけど。」