僕らの世代っていうのは活字離れが深刻だった。

でも、これはある意味で当然なんだ。今みたいに国語の教科書に『ハムレット』なんて載っていないような時代だったし、本の物価が高かったからみんな安値のコミックとか雑誌を手にしていた。

なによりデジタルブームだったんだ。

この時代に今や懐かしきサイバー空間を媒体とする「ネット作家」が誕生して、華やかな時代を生き、政府が活字を奨励する法案を提出したことによって廃れていったわけだ。

そんな時代に生まれながら、僕はずっとありとあらゆるジャンルの本に囲まれた生活をしていたんだから、形成された人格が常識とずれるってのは仕方のないことなんだ。

けれど結局のところ、齢八歳の僕は、人一倍生きることに不器用だった。

個性っていう素敵なものを、内に秘めていることができなかったんだ。

でも、僕はそのことを悔やんでなんかいない。

悔やんでも仕方ないってこともあるけれど、本当のところは、人と少し違う自分に優越感を感じていたんだ。

世間という常識から逸脱した小学生。

悪くない響きだ。今でもそう思う。悪くない。

けれど、それはあくまで主観の話だ。

僕が是だと認めたことが、すべて是になるように世の中の仕組みができていたなら、あんなことはきっと起こらなかっただろうし、最悪の結果だって避けられた。

それに、沙希のあんな能力だってきっと認めなかった。