「分かんない? …分かんないよなぁ。 んじゃお先に」
そう言って、その男性はスタスタと行ってしまった。
あたし1人だったら追いかけたけど、今は夏樹と一緒だもん。
彼女が自分じゃない男追いかけてるのなんて、見たくないよね。
そう思って夏樹を見上げた。
「なーに泣きそうな顔してんだよー」
「泣いてないもん……」
夏樹がポンポンとあたしの頭を叩いた。
だって……
どうしよう。
浮気相手だって思われたりした?
いや、でもそれはないかな。
でも、絶対ヘンだと思われた。
だって、あたしが夏樹でもおかしいと思うもん。
でも……
でも…
「浮気相手とかじゃないよ? ホントに知らない人だったんだよ?」
言ってから、ちょっと後悔した。
言い訳するのなんて、逆にウソみたいだったかな?
でも言い訳しないのも…
勘違いされてたら嫌だもん。
「ぶはっ」
「……へ?」
あたしがまた泣きそうな顔をしていると、すぐあたしの上で夏樹が吹き出した。
「何よぉっ……」
あたしはもう泣き出す寸前。
だってこんなに心配して悩んでんのに、『ぶはっ』って。
別に笑わなくってもいーじゃん。
「別にそんなん思ってねーし。 浮気? 夏実って浮気できるほど器用じゃねーだろ」
あたしはそれには何も答えずに、下を向いて夏樹の腕にしがみついた。
「どーするー? 俺ん家来る?」
あたしはまた黙って、夏樹の腕に自分の腕を絡めた。
こーゆーのは『Yes』のサインだって夏樹は知ってる。
だから夏樹は「よしっ」って言ってあたしの手を引いた。
「ね。 課題…手伝ってくれると嬉しい…」
「課題? いーよ」
それからあたしたちはいつものように笑って夏樹のアパートに帰った。
「ごめんなー汚くて」
「ううん。 全然ー」
「何か飲む?」
「いらないよ、さっきスタバで飲んだばっかじゃん」
笑いながらいつもみたいに適当に座る。
「そっか」って笑った夏樹の顔に思わず見とれてしまった。
「なーに人の顔見てんだよっ」
あ。
テレた。
「いや、なんとなく…」
その時、ふと思った。
そーだ。
さっきの男の人……
あたし、今まで出逢ってきた男性の中で
夏樹が一番素敵だと思ったから付き合ってるんだもん。
さっきの男性は、きっと知らない人だったんだ。
夏樹並みにカッコ良かったから、会ったことあるなら覚えてるはずだもん。
あたしがたまたま、あの男性の知ってる『キョウコ』って人に似てただけ。
あたしとは何のカンケーもない。
何の根拠もなかったけど、そう思った。
「どれが分かんねーの?」
夏樹の声に現実に引き戻された。
「あ、うん。 これこれ」
元々数学と理科系が得意だったあたし。
だから理系の道に進んだんだけど、実際あたしより頭いい人なんてたくさんいて…
夏樹だってその1人。
「コレは、こっちの式を変型させると…こうなるから……」
シャープペンを持っている大きな手。
長い指。
その指がクセであたしの髪の毛を触る。
「…ってお前、聞いてる?」
「あっうん。 ごめん」
こんな人が、あたしの彼氏でいいのかってたまに思う。
頭が良くて、カッコ良くて優しくて。
あたしには…もったいなすぎる。
「あ~なんか喋ってたらやっぱノド渇いた。 夏実も飲むだろ?」
「うん。 じゃあもらう」
夏樹もあたしと同じ貧乏学生だから、飲み物はジュースなんてない。
いつも麦茶。
でも夏樹の使っている麦茶は、実家からお母さんが送ってきてくれているもので
市販の麦茶よりも香ばしくて美味しい。
「ホラ」
「あーありがとー」
あたしはそう言いながら手を伸ばすけど、夏樹は麦茶の入ったコップを離さない。
「………?」
何?という風に首を傾げる。
ガタンっ
「おわっ…」
いきなり夏樹に抱き締められたあたしは、その勢いで後ろにひっくり返ってしまった。
ちょうど、あたしが夏樹に押し倒されたようなカタチ。
「ちょ……夏樹……?」
「夏実……」
さっきまで冷たい麦茶を握っていて、冷たくなった夏樹の指があたしの首に触れた。
「ひゃ……」
「俺の事、好き?」
「え…当たり前じゃん。 好きだから軽々しく好きなんて言葉言えないんだよ?」
「………」
夏樹は黙ってあたしの首筋と唇にキスを落とした。
俺の事、好き?なんて、そんな言葉夏樹の口から出てくるなんて思わなかった。
逆にあたしが好きでいてもらえるかどうか不安だよ……
だってあたしはただの凡人だもん。
それに比べて、夏樹はもうあたしとは異世界の住人だと思う。
こんな完璧な人間、あたしは今まで18年生きてきても出会ったことがない。
でも……
あたしがたまに不安になるように
もしかしたらあたしも夏樹を不安にさせちゃってるのかな。
「そりゃーアンタが不安にさせてるとしか思えないよ」
今、あたしは大学近くのよく来るカフェで明菜(あきな)とレポートを作りながら昨日の事を話していた。
「そーなのかなー」
「うんー。 だって夏樹くんといるときにその謎の男に会ったんでしょ?」
「いや、そうだけど……でも…」
「だいたいさぁ。 その男が誰だかハッキリさせなよ」
「それが誰だか分かんないんだって! グラサンに茶髪に……売れてるV系バンドっぽい人」
「あんたにそんな知り合いいた?」
「でしょー!? いないでしょ? だから知らない人だって思い込むことにしたの」
「いや、でも知らない人じゃないんじゃない? あんたに似てて名前も同じ『京子』って…カナリ確率低いよ」
明菜が探偵のように腕を組む。
「気になるけど…でももう会うこともないだろうし。 たぶんヘーキだよ、問題ナシ」
あたしは気が抜けたようにヘラッと笑う。
「だといーんだけどねぇ…」
明菜はストローでアイスティーをくるくると回し、氷をカラカラ鳴らした。
「よしっレポート完成!」
「……見せて♪」
あたしは、自分で課題をきちんとやった事があるのかとふと振り返った。
昨日は夏樹に手伝ってもらって、今日は明菜に見せてもらって。
夏樹はあたしに甘いし…
明菜も『アンタのが頭良いんだから自分でやりなよっ』
って言いながらも見せてくれるし。
うわ、明日からはちゃんとやんなきゃ。
ちょっと自分の怠惰さが怖くなって身震いした。