カフェを出ると、日光がキラキラと輝いて回りの景色が光っているように見えた。


青く澄んだ空に、鳥のさえずりが聞こえる。


木々が風にそよそよと揺れて、それと一緒に子供たちの笑い声も流れてくる。



「東京にも、こんな風景がまだ残ってるんだね。 ちょっと嬉しくなった」


隣で明菜がポツンと呟いたのを聞いて、あたしも嬉しくなった。


「テレパシー?」


「んー?」


「今、あたしもおんなじ事思ってた」


今の相手が男だったら、きっとあたしは恋に落ちちゃう。


今の相手が夏樹だったら、やっぱり夏樹が好きだって夏樹の腕に顔を埋める。



今の相手が……


もし絢だったら。


あたしはまた夏樹を傷つけるかな。



そんな事を思ってあたしはブンブンと頭を振った。


夏樹のバンドフェスまでは、絶対絢には会わないって決めたんだから。


絢とあたしが、友達同士っていう関係だったとしても。







「ねぇ……」


あたしは遠くの景色を見ながら、ふいに立ち止まった。


「んー?」


「……あたしね、夏樹が好きなの…」


「うん。 知ってるよ。 当たり前じゃん。 付き合ってるんだから。 どーした、急に」



当たり前……か。


付き合ってるんだから。


でも、じゃああたしはその『当たり前』になれないかもしれない。


それがすごく怖い。


「でもね。 絢の事も、好きなのかもしれないの…」


あたしが言い終えた時、世界の音たちが全て消えた。


車の音も、鳥のさえずりも、子供の笑い声も、風の音も。


あたしの耳に届くはずの振動が、止まったように感じた。


そしてその瞬間、その音を無くした世界が一気に歪んだ。


鼻の奥がツンとする感覚と共に、涙がぶわぁっと吹き出した。







「意味分かんないよね、あたし。 …夏樹と付き合ってて絢も好きかもなんて…っ」


明菜は何も言わずに、優しくあたしを包みこんで頭を撫でてくれた。


「でもっ…絢に会わないようにしなきゃ…ダメだって…思えば思うほど…っ…」


明菜の手に少し力がこもったのが分かった。




会っちゃダメだって分かっているからこそ。


会えないんだって分かっているからこそ。


どこにいるかも分かっているから。


今すぐあたしが行けば会えるから。


でも会っちゃいけないのは分かっているから。



だからこそ……













「…会いたい…っ…」















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




なぁ聞こえるか


メーデー


今すぐに会って抱きしめたい


悔しいけど今でも好きなんだ



なぁこんな俺を


メーデー


何で君を好きになったのか


あの日のサヨナラを


どうして君に言わせてしまったのか


あの時去り行く君の腕を


掴んで離さなければ


君はまた俺を好きになって


くれただろうか





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・












「あっつ! 信じられないね、コレ。 みんなロマスタ目当てな訳!?」


「うんー。 そうかもね。 メジャーデビューするバンドがどんなモンか見たいもんね」



今。


あたしは明菜と、バンドフェスティバルの会場に来ている。


夏樹がくれた、あのチケットを持って。



「もうちょっと前行かせてくれないのかなー。 ちょっとすみませーん、すみません」


明菜はあたしの腕を掴んでぐいぐいと引っ張る。


だけどみんななかなかどいてくれない。



「ロスキージャス次なんだけど……っ! 通してよ…っ」


明菜がそう言った瞬間、人の波が一斉に明菜の方を見た気がした。



「あたしたちも、ロスキージャス見に来たんですよー。 全然見えないですよね」







「えっ? そうなんですか? ロマスタじゃなくて…?」


あたしは前方にいた女性の言葉に声を失った。


「ハイ。 ロマスタはメジャーデビューするだけあって、売れるための詞ですけど…」


その女性はあたしを見ながらニコっと笑う。


「ロスキージャスの歌詞は、あたしすごい好きで。 心に響くんです」


へー……。


思わず感心してしまった。


ロスキージャスって、意外に有名だったりしちゃうのかもしれない。



「あの…いつからファンなんですか?」


「んー…そろそろ1年経ちます! 追っかけもしたことあるんですよー」


その女性の笑顔はなんだかすごく太陽みたいで…こっちまで元気になりそうだった。


そしてあたしは、勇気を振り絞ってある事を聞く決心をした。









「あの…。 その歌詞って…誰が書いてるんですか?」








女性はちょっと顔をしかめたあと、こう言った。


「それが分かんないんですよねー…あたしも気になるんですけど」


「分かんないの?」


いきなり明菜が横から割って入ってきた。


っていうか…


『分かんないの?』って…さすが気の強い明菜のセリフ。


あたしなら、初対面の人にそんなこと言えない。


「す…すみません…。 たぶんナツだとは思うんですけど。 ボーカルの…」


もう女性は泣きそうになってしまっている。


「ボーカルのナツって? カッコいいの?」


明菜が怪訝そうな顔をした。



「はい! あたしはナツが一番好きです!」


その女性は、パアッと顔を赤らめる。



「どんな曲があるんですか…?」


「たくさんありますよ、もうずっと活動してるんで。 あたしが好きなのは、『メゾピアノ』ですけど…」







なんだ、ロスキージャスって結構活動してるんだ。


あたしは、何にも知らないのに…。


ナツっていうのはきっと夏樹のことだろう。


なんかあたしよりも、この女性の方が夏樹の事をよく知っている気がして


ちょっと悔しくなった。



「今日歌うんですか? そのメゾピアノって曲」


「……はい!!」



――次はロスキージャスのみなさんです!


その途端、会場には黄色い声が飛び交った。



「あ! ナツ~!」


その女性もピョンピョン跳ねて喜ぶ。



「夏樹…」



――こんにちは。 今日はありがとう。 ロスキージャスです。







真ん中でギターを肩に掛けたままマイクを持っているのは、紛れもなく夏樹。


あたしが傷つけ続けてきた、好きだったヒト。



――今日も盛り上がっていこうな! じゃあ早速聞いて下さい。 『メゾピアノ』。


そして会場には、口笛や歓声、拍手が残った。




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見つけた日だまりに
君と僕はまた並ぶ
いつもの影法師描いて

この気持ちたちとは
いつ別れる時が来る?
我が儘な僕はずるいんだ

いつからか消えたピアノの旋律は
今だって心に残っているのに

大好きだとか一緒にいたいとか
愛情まがいの言葉をばらまいて
そのメゾピアノはまだ君の心に
君の心に
Ah…


誰も何も知らない
何も分かりゃしない
君と別れが来ても

今だけは泣いてもいいか、君の肩で
雨の音すらも濡らすメゾピアノ

蜃気楼の中に君の姿を見たあの日
僕は君の虜になった
今でもそのメゾピアノはピアニストの
僕だけのもの

会えないんじゃなくて
会いに行かないだけ
もう少し僕が僕でいられたら
どこにでもとんでゆく

大好きだとか一緒にいたいとか
愛情まがいの言葉をばらまいて
そのメゾピアノはまだ君の心に
君の心に
僕の心に


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