正直、ショックというより、衝撃だった。
人にそんな事を言われてショックを受ける、というよりも
夏樹にそんな言葉を言われたという事実には衝撃を受けた。
あたしはどんな表情をすればいいのかもわからずに下を向いてしまった。
「何それ。 じゃあ京子ちゃんは、もらっていーのかな?」
びっくりして顔を上げると、嫌みすら含んだ満面の笑みで、絢が夏樹を睨んでいた。
「ちょっと絢……」
ちょっと絢……
ちょっと絢……
絢……
ケン……
自分がさっき言った言葉が、何度も頭の中でこだました。
『絢』って。
あいつは約束破ってさっきあたしの事『京子ちゃん』って言ったのに。
何ちゃんと守って『絢』なんて言ってんだ、あたし?
嫌でも、夏樹の顔が強張ったのが分かる。
夏樹以外の男性を、あたしが下の名前で呼んだのは初めてだった。
あたしは口をつぐんでそのまま立ちつくし、決意した。
「村沢夏樹。 もうすぐ付き合って1年になる、大切で大好きなあたしの彼氏です」
あたしは夏樹に差し伸べていた手を、今度は絢に差し伸べた。
「深海絢……」
と、ここまで言って言葉に詰まった。
あたしは絢の事を、知らなすぎる。
バーでバイトしてる、とか?
〇〇会社の会社員、とか?
だから何なんだろう。
あたしと絢の、人間としての関係には、名前がない。
だから、何も分からない。
何も言えない。
「深海絢」
その時、横から少しかすれた声が聞こえてきた。
「深海絢。 夏実京子ちゃんの高校時代の親友の、ただの元カレです。 そいつからよく話聞いてて、面白い子だなって思っただけだから。 何にもやましいこととかないし」
「だったら何で夏実が泣いてんだよ!」
夏樹は絢の胸元を掴んで揺さぶった。
「違っ……夏樹! 本当に…違うから…あたしがちゃんと話すから……」
絢を掴んでいる夏樹の腕をあたしが掴むと、夏樹が悲しそうな顔であたしを見た。
「話があんなら、後で聞く。 …それまで俺は、まだ夏実を信じてみるから」
そう言って夏樹は、あたしの手に2枚の紙を握らせた。
「……何、これ?」
「今度のバンドフェス。 絶対来いよ。 フェス終わったら、裏で待ってるから」
それだけ言うと、夏樹はあたしに背を向けてバイバイ、と手を降った。
あたしはそんな夏樹の後ろ姿を見つめていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
君が深い海の底にいるのなら
俺はそこから救い出そう
そして手を差し伸べて
君の傷を癒せたらいいのに
なぁもう1度笑ってくれよ
もう1度俺の手を握ってくれ
メーデー
俺はどうすればいい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「良かったねー。 夏実まで殴られなくて。 男ってカッとなるとワケ分かんなくなるけど、さすが夏樹くんだね」
今あたしは、明菜と前も来たカフェに来ている。
「え……うん。 そうだね」
「でもお互い想い合ってるねー。 羨ましーわぁ。 だって別れ話なかったんでしょ?」
「うん…」
そうか。
確かに。
あたしはあの時、夏樹と別れたくなくて必死だった。
もしかしたら…夏樹もそうだったのかな。
「それにしても…夏樹くんがバンドやってるなんてあたし知らなかったよー!」
「んー…。 あたしも前言われた気がするけど、忘れてたもん」
「で? 何? ギタリストなの、彼は? それともボーカル?」
テーブルの向かい側から、ずいと明菜があたしに詰め寄る。
「んー分かんないんだよねぇ。 というかたぶんあたしが忘れただけだと思うけど」
あたしははぁ、とため息をつく。
「バンド名すらも忘れちゃった…。 でもこのチケットに書いてあると思うんだけど」
そう言ってあたしはひょい、と明菜の手から2枚のチケットを取り上げた。
「夏実バンド名も覚えてないの!? まーでも夏樹くんは何やってもサマになるかぁ」
「サマになってなかったらどーしよーねー。 幻滅しちゃうかも」
「あっ、今! 贅沢発言! 夏実が幻滅したらあたしが頑張ってアタックしちゃうわよ」
「あははー。 でも夏樹と明菜って…なんか面白いかも」
小さくぷっと吹き出すあたし。
「やっぱり明菜には大輔くんが1番だと思うけど?」
あたしがそう言うと明菜は少しムスッとしながらも照れながら笑った。
明菜と大輔くんは幼なじみみたいな関係で、小さい頃からずっと一緒にいて
付き合ってからもう何年も経ってる。
やっぱりその分ケンカとかもしてきてたけど、やっぱりお互い1番に想いあってて。
絆の強い、あたしの憧れのカップル。
「あっコレかな?」
あたしはチケットに書いてある1つのバンド名を指差した。
「んー? ロスキージャス?」
「うん。 たぶん、そんなような名前だったと思ったけど」
「ロスキージャスって? 何語なの? 英語? どーいう意味?」
「えぇっ…そんな事言われても分かんないよぉっ…」
「っていうか。 さすがに夏樹くんたちトリじゃあないんだぁ…」
「んー。 トリ飾れる程必死にはバンド活動やってなさそうだったしねー」
「ロマネスク・スタンド? ってトコがトリやるみたいだねー。 最近よく聞くけど」
「今度メジャーデビューするって噂だけど?」
一瞬、時が止まったのかと思った。
次の瞬間、明菜が思い切り息を吸ったのと同時に、あたしは急いで耳をふさいだ。
「ええぇぇぇええーー!!」
「…? ……?」
ん?
明菜が口をパクパクさせて何か言っている。
あたしは耳をふさいでいた手を離した。
「え? 何て言ったの?」
「『マジ? 結局メジャーデビューするんだ?』って言ったの!」
「あ、うん。 この人たち、何回もメジャーデビューの話蹴ってたみたいだもんね」
「へー…。 でも夏樹くんも、その人たちと同じステージ上がれるのは刺激あるんじゃない?」
「うん。 そうかも」
カランカラン――
その時、扉が開いて涼しそうなベルの音が店中に響いた。
「いらっしゃいませー」
店員が明るく声をかける。
あたしは、一瞬目を疑った。
まっピンクのワンピースを来て、スレンダーボディ。
真っ赤なルージュにサングラスをかけている。
ここにいる他の人たちとは完璧に違う、金髪のブロンド。
「ヒっ…ヒロミさん!?」
「あらー。 キョーコちゃんじゃない、ごきげんよう」
ヒロミさんはかけていたサングラスを頭にかけ直すと、ひらひらとあたしに手を降った。
「ねぇ、夏実! 知り合いなの?」
明菜があたしを小突く。
「あ…うん、ちょっとね…」
ヒロミさんが近づいてきて、あたしはヒロミさんに声をかけた事を少し後悔した。
「最近、Mr.シャマンに来てくれないじゃないのー。 絢に聞いても知らない、の一点張りだし…」
「や、ちょっと最近忙しくて…。 また行ける時にでも遊びに行きます」
「そーぉ? じゃあ待ってるわね。 それじゃ、あたしはあっちだから」
「あ、ハイ。 さよなら」
歩き方もモデルみたい。
今思ったけど、ヒロミさんはかなり長身。
だから余計にバランスよく見えるんだ。
あたしは無駄に感心してしまった。