「おい、なんかあったんか?」


「……へ? 何…で…?」


あたしはキョトン、としてしまった。


「顔色悪いけど? …てか、酒臭いけど、飲んだの?」


「……あー。 ハイ。 ちょっとだけ付き合いで。 」


「そっか。 あんま飲みすぎないようにな? 酒、あんま得意じゃないんだろ?」


最後にぐっと顔を近づけられて、あたしは反射的に後ずさりしてしまった。


「あ。 悪ぃ。 向こうで夏樹待ってたよ。 早く行ってきたら?」


「……どーも…」



うん、と頷くと相田さんはスタスタと帰って行った。



それを見届けてから、あたしはいつもの噴水に向かった。







「おっ! 夏実、思ってたより早いな」


「そーお?」



噴水のところに行くと、相田さんの行ってた通りにすでに夏樹がいた。


いつもみたいな笑顔でいつもみたいなくだらない話をした。



だけど……何だろう。


さっき深海絢について行っちゃったからか。


あたしの胸は罪悪感みたいな黒いものでざわざわしてて


夏樹が笑う度にあたしの胸は、わしづかみにされたみたいにひどく痛んだ。



きっとうまく笑えてなかったと思うけど


きっとこの時はそれどころじゃなかった。


それほどにやっぱり罪悪感があって、それがあたしを後悔の海に沈めたから。





「なぁ、夏実?」


「んー?」







「俺たちの間にさ。 隠し事なんてナシだろ?」


急に向き合ってマジメな顔して話し出したから、何かと思ったら。



「当たり前じゃん。 夏樹今さら何言ってんの?」


半笑いで答えると、いつかの夏樹のアパートであったように

ガバッと急に抱き締められた。



「ちょっ…夏樹……?」


「俺は夏実から何か聞かれたら、何にも隠さないで全部答えられる」


「う…うん……」


「夏実も……だよな?」


「……う………うん」



自分でも『うん』と言っているのか『ううん』と言っているのか分からなかった。


自分でも自分のことを、曖昧な女だなぁ…と思った。




「じゃあ……ちゃんと答えてな?」


「う……うん……」













「黒のフォルクスワーゲンに乗ってたヤツ……誰?」








ボト。


「あ……」


あたしは、手から滑りむなしく地面に落ちたグレープフルーツをぼーっと眺めた。



「ちょっと夏実! アンタ本当に大丈夫!?」


すかさず隣にいた明菜が、あたしの肩を持って揺さぶる。


「大丈夫だよー。 ちょっと落としただけじゃーん。 明菜ってば心配性だなー」


明菜を安心させるように無理やり目尻を下げて口角を上げた。


その無理な笑い方が逆に心配になったのか、明菜は泣きそうな顔であたしを見た。


「ねぇ、夏実。 言いづらいなら、あたしから言うから。 ちゃんと責任持つから…」


もう明菜は泣き崩れる寸前で、声と肩が震えていた。




あたしはあの日、夏樹に……




嘘をついた。








だって、嘘つかなかったら、何て言えばいいのか分かんなかった。


ホントの事言っちゃったら、どうあがいたってあたしたちは終わってた。


嘘をついてもきっと夏樹はいつか知る。


もう知ってるかもしれない。


その時はもちろんきっとかなり傷つける事になるのは分かってる。



でもそれでも、今はまだ終わらせたくなかった。


まだちゃんと夏樹を愛してるから。


少しでも長引かせようとした。




その事を明菜に話したら、なぜか明菜が泣き出した。


そんなに夏樹くんのこと想ってたんだね、とかごめん、とか言いながら泣いてたけど


あたしを客観的にみれば、ただ単に自分を美化してるだけかもしれないと思った。


悪いのは全部あたしで、しかもさらに明菜まで泣かせて。


サイテーだ。


あたし。







明菜は、ようやく泣き止んだ今もまだあたしを心配してくれていた。


「夏実ィ~。 やっぱり言った方がいいよ、夏樹くんに。 それで、謝ろっ。 あたしも一緒に行くし! 夏樹くん許してくれるよ」


「いい………」


「なんで…? このままじゃダメだよ! 結局終わっちゃうんだよ? 意味ないじゃん!」


あたしは何も言えなかった。


明菜が買ってきてくれた、あたしの大好きなフルーツの盛り合わせが目の前にあるのに


あたしは顔すら上げずに落ちたグレープフルーツをまだ眺めていた。



「夏実ィ~……」


明菜が肩を落としてあたしに近づき、あたしの肩に手を置いた。


「じゃあ気分転換にさ。 どっか行こ? じゃなきゃ行き苦しくてやってけないよ。 そんで、ゆっくり考えよ?」







明菜の提案に、あたしは初めて顔を上げて、鞄を手繰り寄せた。


鞄の中の手帳を見て、予定を調べようとしたから。



「あれ……? ない……」


なのに、手帳がなかった。


鞄の中に、手帳は入ってなかった。


「手帳?」


明菜はあたしが何を探しているのかすぐに分かったらしかった。


「うん…」


「夏実、その手帳って…夏樹くんに買ってもらったやつじゃないの? 去年の誕生日に」


「うん…」


そう。


去年の暮れ、夏樹があたしに誕生日プレゼントとしてピンクの手帳をくれた。


その手帳が気に入って、用もなく毎日のように眺めていたのに、それがない。


よく記憶を辿ってみると、そういえばここ数日見ていなかった。



「あ……」



最後に見たのは、あの日だ。


深海絢と、あのバーに言った日。


あたしが夏樹に


嘘をついた日。







でもあの日に最後に見て、あたしはどこに無くしたんだろう…?


バーに落としたとかかな……?


いや、でもそれはない。


手帳が鞄から落ちるほどの角度で鞄を持った覚えはないし


普通、落ちたら音で気付くはずだもん。



相田さんに会った時に抜き取られたとか?


でも相田さんがあたしの手帳を抜き取ったとしても、相田さんに何のメリットもない。



抜き取るなら誰にでもできるのか……


深海絢でも、ヒロミさんでも。


深海絢なら、いかにもそんなことやりそう。


あたしから深海絢に会いに行くように。







アイツの思うツボになるのは悔しかったけど、あたしはバーに向かっていた。


詳しい場所はやっぱり分からなかったから、タクシーに乗り込む。


「『Mr.シャマン』までお願いします」


確か、『Mr.シャマン』だと思っていた。


運転手のおじさんが頷くと同時に、ほっと胸を撫で下ろす。


Mr.シャマンへは、10分弱で着いた。


深海絢は、ヒロミさんを、常連だと言っていた。


だったらヒロミさんはいる可能性が高い。


手帳のことを、何か知っているかもしれない。


まず入ったら、どうすればいいんだろう。


ヒロミさんいるか見てみよう。


ヒロミさんの本名は、何ていうんだろ。


色々な考えや思いを巡らせながら、あたしはMr.シャマンの重いドアを押し開けた。