「あ、うん。 これこれ」



元々数学と理科系が得意だったあたし。


だから理系の道に進んだんだけど、実際あたしより頭いい人なんてたくさんいて…


夏樹だってその1人。



「コレは、こっちの式を変型させると…こうなるから……」



シャープペンを持っている大きな手。

長い指。


その指がクセであたしの髪の毛を触る。



「…ってお前、聞いてる?」


「あっうん。 ごめん」



こんな人が、あたしの彼氏でいいのかってたまに思う。


頭が良くて、カッコ良くて優しくて。



あたしには…もったいなすぎる。



「あ~なんか喋ってたらやっぱノド渇いた。 夏実も飲むだろ?」


「うん。 じゃあもらう」







夏樹もあたしと同じ貧乏学生だから、飲み物はジュースなんてない。


いつも麦茶。


でも夏樹の使っている麦茶は、実家からお母さんが送ってきてくれているもので


市販の麦茶よりも香ばしくて美味しい。



「ホラ」


「あーありがとー」



あたしはそう言いながら手を伸ばすけど、夏樹は麦茶の入ったコップを離さない。



「………?」


何?という風に首を傾げる。



ガタンっ


「おわっ…」



いきなり夏樹に抱き締められたあたしは、その勢いで後ろにひっくり返ってしまった。


ちょうど、あたしが夏樹に押し倒されたようなカタチ。



「ちょ……夏樹……?」








「夏実……」


さっきまで冷たい麦茶を握っていて、冷たくなった夏樹の指があたしの首に触れた。


「ひゃ……」


「俺の事、好き?」


「え…当たり前じゃん。 好きだから軽々しく好きなんて言葉言えないんだよ?」


「………」



夏樹は黙ってあたしの首筋と唇にキスを落とした。



俺の事、好き?なんて、そんな言葉夏樹の口から出てくるなんて思わなかった。



逆にあたしが好きでいてもらえるかどうか不安だよ……


だってあたしはただの凡人だもん。


それに比べて、夏樹はもうあたしとは異世界の住人だと思う。



こんな完璧な人間、あたしは今まで18年生きてきても出会ったことがない。



でも……


あたしがたまに不安になるように


もしかしたらあたしも夏樹を不安にさせちゃってるのかな。







「そりゃーアンタが不安にさせてるとしか思えないよ」


今、あたしは大学近くのよく来るカフェで明菜(あきな)とレポートを作りながら昨日の事を話していた。



「そーなのかなー」


「うんー。 だって夏樹くんといるときにその謎の男に会ったんでしょ?」


「いや、そうだけど……でも…」


「だいたいさぁ。 その男が誰だかハッキリさせなよ」


「それが誰だか分かんないんだって! グラサンに茶髪に……売れてるV系バンドっぽい人」


「あんたにそんな知り合いいた?」


「でしょー!? いないでしょ? だから知らない人だって思い込むことにしたの」


「いや、でも知らない人じゃないんじゃない? あんたに似てて名前も同じ『京子』って…カナリ確率低いよ」


明菜が探偵のように腕を組む。







「気になるけど…でももう会うこともないだろうし。 たぶんヘーキだよ、問題ナシ」


あたしは気が抜けたようにヘラッと笑う。



「だといーんだけどねぇ…」


明菜はストローでアイスティーをくるくると回し、氷をカラカラ鳴らした。



「よしっレポート完成!」


「……見せて♪」



あたしは、自分で課題をきちんとやった事があるのかとふと振り返った。


昨日は夏樹に手伝ってもらって、今日は明菜に見せてもらって。



夏樹はあたしに甘いし…


明菜も『アンタのが頭良いんだから自分でやりなよっ』

って言いながらも見せてくれるし。



うわ、明日からはちゃんとやんなきゃ。


ちょっと自分の怠惰さが怖くなって身震いした。








「うはー満腹♪」



結局、昨日バイト代が入った明菜が機嫌を良くして奢ってくれた。


カフェを出て、今日はサークルもバイトもなく暇なあたしは


そのまままっすぐ自分のアパートに向かった。



今日は夏樹もサークルで忙しいみたいだし。


あたしも遊んでばっかりいないでたまには念入りに部屋の掃除でもしよっかなー…


いっつも家にはお世話になってる訳だし。



天気も良いから早いうちに洗濯物回しちゃおっ



いつもとはちょっと違う、充実した日が送れそうっ


そう思って、ご機嫌で鼻歌を歌おうとした時。








「あっ京子ちゃんじゃーん!」



一瞬、鳥肌が立った。









振り返る前、あたしの頭は高速回転した。



京子ちゃん?


この声。


このなんとなく軽いノリ。


あのV系バンドマンなはずがない。


こんな広い土地で、そんなに昨日も今日も出会うはずがない。



そう思いながら、ゆっくりと振り返った。



「やっ京子ちゃん。 昨日ぶりだね」



でた。


V系バンドマン。



あたしはその瞬間、出来る限りのハイスピードで歩き出した。


「えっ京子ちゃん無視? 俺別に怪しいモンじゃないよ?」


そのV系バンドマンは、当たり前のようにあたしの横を普通に歩いてついてくる。



じゃあ名乗れ!


心の中でそう叫んだ。







「ついてこないでください。 ストーカーだって警察につき出しますよ」


ぶっきらぼうに聞こえるように棒読みに言ったのに、この男は聞く耳を持たない。



「今日はー? カレシはー?」


「失礼ですが、お名前は?」


気持ち悪いぐらいの120%スマイルを向けて、立ち止まった。



「あっ俺ねー。 よいしょ。 ハイ。 こーゆーもんです」


そいつは何の慌てた様子もなく、鞄からごそごそとケースを取り出し


その中の名刺の1枚をあたしに渡してきた。



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〇〇株式会社

◇◆製作部

深海 絢


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「……しんかい……あや…?」








「しんかいあやって……そんな名前そーそーいないだろ。 それでふかみケンってゆーの」


「ふかみけん……?」


「うん、そーそー。 覚えてくれそう?」


「……サヨナラ~」


あたしは気が抜けたようにフラフラと後ろ向きに手を振って歩き出した。



「えっちょっ……京子ちゃん!? ちょっと待ってよ!」


「あたしストーカーに付き合ってあげるほどヒマじゃないんでー」




その瞬間。


深海絢に右肩をぐっと掴まれたあたしは

その勢いで後ろに転びそうになった。



「なっ…何すんのよ! 今、転ぶかと思ったじゃない!」


「なぁ…」


「え?」


そいつの真剣な顔に、一瞬ドキッとした。


昨日も今日も笑ったトコしか見たことなかったのに…


何でこんな真剣な顔してんの……?



「俺の事、知りたくない?」