エレベーターには八階である事を示す光。そして、実に業務的な機械音と共に扉を開く。彼等はそれを降りて、目的の本屋に何とか辿り着いた。彼は裏をちらりと一瞥くれると、やはり『カズヤ』と目が合う。通算五回目となるそれを殺意にも似た情操で噛み締めたのだが、その家族はエレベーターの閉まる音と共に姿を消した。この上にはレストランしかないので、その貴家は早速食事を取りに行く様。
 来たばかりなのに早速ランチである。流石に中肉一家の事だけはある。
 彼は十一時を指す時計を見つつそんな事を鑑みたが、彼女が早くと急かしだしたので、慌てて思慮を抑制。素早くその後を追う。
 その本屋だが、全国に展開しているらしく、何処でも見掛ける事が出来る。名前の由来は今の和歌山県辺りの旧国名らしい。そんな五十平方メートルはある――いや、もっとかもしれない――広々とした真っ白の店内を、彼女だけが忙しく動き回っていた。
 しかし、実は彼も此処に来るのは楽しみにしていた事。彼は、小説を読むのを数少ない自分の趣味とし、そして、好きな作家の新刊が出ているかも。久々に来たまともな書店に、内心喜悦の思いだった。
 彼女がまるで夢うつつな死霊の如き動向で辺りをさ迷っているのを尻目に、彼は「自分も見てくる」と一言だけ残し、小説コーナーに向かう。少し腹が痛い気もするがそれはさっさと後方に追いやる。
 彼女からの返事はなかったものの、……聞こえたよね? 彼は構わず足早に彼女がようやく見つけた料理本コーナーを後にした。
 彼は沢山の書籍に囲まれているそれに着くと、辺り構わず見て回ったのだが、何一つ真新しいものには出合えない。
 彼は歓喜していた分落胆も一塩だったが、諦めて愛読する作家の短編集を手に掴み、ぱらぱらと目配せした後で脇に抱えた。
 腹の痛みももう放っておくことの出来ない高みまで来ていた為、小走りで彼女の居る料理本コーナーを目指す。
 だが……、
「あれ……?」
 先程までいた場所に彼女は居なかった。