何はともあれ、目的地。
 彼等は入口から入ると、エレベーターの並ぶフロアーに向かう。彼等の目指す本屋は八階にあり、流石にエスカレーターでは面倒過ぎる。眼前にあるボタンを押してしばし待つ。横には中年の夫妻とその十にも満たない男の子が三人仲良く談笑していた。やれ、カズヤはでかくなっただの、ママは今日は美人だのと言った彼にとってはどうでもいい話を。
「しかし、何でまた読書なんかしようと思ったの?」
 彼はげんなりしながらも彼女に話を振る。彼女は活字とは無縁であると彼は思っていた。何故なら、彼女が本を読んでるのなんて一度も見た事が無いのだ。しかし、それに対しての解答は明確。
 彼女は言った。
「料理の本を買いに来たの!」、と。何でも彼女の話によれば、この前ワイドショーに出ていた料理評論家の本が欲しいらしい。テレビ右端に絶賛発売中とやらで銘打った宣伝に心惹かれたのだ。
「それでまた料理をたぁーっくさん覚えてガクに食べてもらうの。嬉しい? 素直に嬉しいって言ってもいいよ?」
 まあ嬉しいには嬉しいのだが、流石に此処では恥ずかしくて言えない。しかも今、『カズヤ』と目が合ったのだ。
 彼がごにょごにょと電波を半径三十センチ四方に発していると、彼女はいつの間に彼の裏に回ったのだろう? 脇を白魚の様な手で擽る。
「ちょっ! ま、待って! ちょっ……、や、やめてぇーーっ!!!」
「ガク? 嬉しいでしょ? 嬉しいって言わないと止めないよ? それっ!」
「う、うれしい! 嬉しいって! だからちょ……」
「うん。よろしい!」
 やっとの事で彼女が手を離してくれたので、彼は阿鼻叫喚なそれから命からがらの脱出に成功。
「タマ……。酷いよ……」
 それでも怒らないのは彼の人徳の為せる業か。彼がちらりと中肉中背の家族を見遣ると、それは大爆笑の渦に巻き込まれている様。無論『カズヤ』も顔を真っ赤にして笑っていた。
 ……チ、チクショウッ! カズヤのくせに!
 その内なる激昂は勿論、誰にも届かない。彼がもやもやした面持ちで俯いていると、エレベーターのドアが今更になって開く。
 ……何でもっと早くこない? 
 彼等は、カズヤ一家とそれに乗り込む。