彼等は、リビングに戻り、彼女は暫く目に濡らしたタオルを当てていたが、「さあて! お昼ご飯はどうしよっか!」と、急にである、突拍子も無くソプラノの声を張り上げた。
 彼は微笑ましくもあった。それはそう。悲しい顔なんか誰も見たくない。しかし、何度も言う様だが、声があまりにも大きすぎる。何故隣に居るのにこんな大きな声を出さなければいけないのか、彼にはどうしても理解できない。
 彼はどちらかと言うとぼそぼそと話す質なのだ。おまけに滑舌も悪い。圧倒的に人に比べて舌が短いのだ。そのせいで同じ言葉を繰り返す事がしばしばあったが、彼はそれについてはもう諦めていた。何せ、た行の列も早口で言えないのだ。
 そんな独り言的自虐を心の中でやり取りしながらも、彼は考える。もしかして彼女は、彼に対して、もっと大きな声を出せと言いたいのかも知れない。
『私がこんなに大きな声を出してるんだから貴方も出せ』と言う具合に。
 彼が相槌をしながらいつまでもそんな事を考えてると、彼女は尚も、合唱コンクール当日に、朝、張り切って練習をする女学生の如き音量で続ける。
「ねえガク? 聞いてる? 何か食べたい物ある? って言っても……あちゃー、やっぱり目が腫れてるなあ。どうしよう?」
「何でもいいよ? 別に冷蔵庫の余りだって、ドッグフードだって」
「ねえガク? それって冗談?」
「うん。まあそうとも言える」
「つまんないよ?」
「…………」
 彼女は愛想笑いをすると、持っていた手鏡を眼前のテーブルに置き、また考えだした。どうやら昼食について納得がいく考えが出てこないらしい。
 彼はそんな彼女を見ていたが、何でこんなに急に元気になったのか全く結論が出てこなかった。彼女はさっきまで泣いていたのだ。
 彼の腕の中で。
 しかし、よく見てみると彼女の瞳には、陰りがまだ停滞しているようにも見える。
 ……やせ我慢しているんだ。結局彼はそう結論付ける。