彼は風呂場に行くと、横にあった洗面台の鏡を見てみた。
「確かに酷い……」
 鏡に映った彼は、本当に酷い顔をしている。
 よく見れば確かに見慣れた顔だったが、彼には何かが欠けていると認識せざるをえなかった。
 それはまるで、どこぞの下手な抽象画家が、適当に、それこそ本能の赴くままに、力の限り書きなぐったかのようにさえ思える。
 彼はそんなふざけた考えを振り払うと、服をさっさと脱ぎ、真っ白の風呂場に入っていった。
 風呂には湯が張ってある。どうやら彼女が入れてくれたらしい。
 風呂場は彼女と同じ、コロンシャンプーの甘い匂いが立ちこめていたが、それについてはあまり考えないようにする。
 キリが無いのだ。
 彼は始めにぱぱっと頭を洗い、次に身体を洗う。そして、付属の鏡を見ながら、ゆっくりと、丁寧に髭を剃った。
 その後に湯舟に浸かる彼。ふと、今日見た夢の事を思い出してみる。
 何かに追い掛けられるといった拙いイメージが彼を支配したが、それが合ってるとは彼にはどうしても思えない。何と言っても覚えていない。
 ……一体何なんだ、と彼が怒りに打ち震えていると、いつ来たのだろう? 曇りガラスごしに「バスタオル置いておくよー?」、彼女が言った。唐突なその言葉に、正直胸が弾ける。
「ああ……、ありがとう」
 彼がそう言うと、不意にドアがガラッという音と共に開けられる。目が合う。
「どう? 生き返った?」
「……うん。大分……」
「朝ご飯出来てるからお風呂を出たら一緒に食べましょう」
「うん……、待ってて」
 彼女は満足したのか、扉を閉めて鼻歌を歌いながら去っていく。何の歌かは知らない。聴いたことも無い旋律。
 もしや入って来るのかと思った彼は下半身を見遣ると、その緊張を解く為だ。無駄な意識の集中をしてみる。
 しかし、それは彼の意志とは反対に中々収まることはなかった。
 仕方がない。彼だって健全な男。いざという時に何の役にも立たない健全な。
 彼は、やっと収まったのを確認すると、さっさと風呂を出る。
 ろくすっぽ拭きもせず、昨日着ていた服にまた袖を通し、彼が居間に出ると、何とも良い香り。空腹感を助長させる。
 朝食。
「あ、ガク。出たの? 丁度出来たところ! さあ食べましょ?」
 彼は、すっとテーブルの横に座る。