彼女は、声の有らん限りに叫んだ。
 彼にもここまでの音量は初めて。
 衝撃ですら生温い何かを感じずには居られない。
「タマ……」
 呟く。呟いてもどうにもならない事は、彼の麻痺した頭でも認識している。
 彼女は、一瞬我に返り、そして言った。
「もう、帰って下さい。そして、二度と現れないで下さい。お願いだから」
 か細い声であった。園絵は、呆気にとられた後、「うん。分かった。珠美……。ごめんね」、と彼女に負けず劣らずの弱々しい声で返し、細い身体を立たせる。
 そして、「じゃあね。本当……、ごめんね」、と最早聞き取れないほどの音量で囁き、そして、彼等の後ろを通り、玄関の閉まる音と共に姿を消した。
 一瞬の静寂。
「ひぃっ、ひぃっ、ひぃぃぃッ」
 我慢していたのだろう。
 彼女が渾身の悲哀でもって泣き出す。
 確かに、母親は居ないと訊いたきり、一切母親の話は出てきていない。
 彼は、無造作に彼女の肩を抱き、ぐいっと引き寄せる。彼が思うのは憐憫。哀れで仕様がないのだ。彼は、その指先まで余すことなく力を込め、強く抱いた。無力であった。彼女を笑わすことなんて出来るはずもなかった。抱きしめることだけ。それ以外に出来る事のない彼は、少しだけ、彼女の悲壮を貰ったように泣いた。彼の瞳からこぼれた涙は、やがて彼女の黒い服に垂れ、薄く滲ませる。