生暖かい風にのせられて、生々しい匂いが鼻につくと、現実味のない状況が目の前にあった。
止まりきれなかった電車は踏み切りに最後列の車体を残し停車。
この時間だったためか、その車両に乗客は居なかった。
後ろにいた車掌がその列車の中を慌てた様子で横断するのを、ただ静かに目で追うだけだった。

よりによって視力を失おうとしている自分が、その間近に目に残すものがこの残酷な状況だと、誰が予想できただろう。

少しの間の後に、改めて現状を理解すると、素直に身体が小刻みに反応する。
衝撃過ぎて、声も出ない。
訳の分からない恐怖が全身を襲うと、その場に居ることを限界だと諭すサインが頭の中を点滅した。
一刻も早く逃げ出したい。

一歩。
恐怖にあとずさる。

今にも駆け出してその場を走り去ろうと身体を反転させた瞬間。
視界の片隅に、人影をみた。

それに気付いたとき、気持ちとは裏腹に身体が硬直して一歩も動けなくなった。
瞬きもできない。
息をするのも忘れたように、自分の全てが強張るのを感じた。

動かない体はそのままにして、無意識のようにゆっくりと視線を後ろに向ける。
確かめたくないはずなのに、何かが逆らって言うことをきかない。

向けた視線の先に。
彼女は、そこに居た。
俯いて自らの手のひらを見つめながらピクリとも動かない。

長い髪もワンピースも、風にはなびかなかった。
先ほど原型を失ったはずの身体が無傷のままそこに居る。
理解できない現状に呆然としながら立っていると、彼女は背にしていた線路を振り返った。
その後姿は間違いなく目の前にいたあの女性。
それは確かだったが、ひとつの違いがあった。

それは実体を持っていないということ。

彼女の身体越しに、無人の車体が見えていた。
自分の目のせいではない。
確かにその身体は透けていたから。

その事実を確信すると、驚きのあまり声がもれた。
それに気付いたかのように。
線路を見つめていた彼女の視線は、身体ごと自分のほうへと向けられる。