「じゃあ、牛乳ご馳走さん。また、明日な」
 スニーカーを突っかけて、彼は言った。
「いえいえ。また、明日」
 佐藤の言葉をバックに、彼が玄関のドアを開けると、夕暮れが、宵に差し迫っている。
 彼は振り向き、「バイバイ」と言った。
 佐藤も、最早息も絶え絶えの斜陽を全身に浴びながら、「バイバイ」と言った。
 佐藤の瞳は大きく、夕日が瞳で乱反射して、とても綺麗に映る。
 彼は、笑顔と共にドアを閉めると、一度エレベーターに戻り、それに乗って六階の自宅に向かう。
 そして、ポケットの鍵を握り締めながら、……さっきの義久のような絵が描けたらな、彼は思った。
 ……あれが描ければ、入選、いや、全国でだって。
 下を向いて考え事をしつつ、無意識に何時も通る帰り道を歩く。
「こんばんは」
 そして、これまた無意識に声の掛けられた眼前を見て、彼は少し驚いた。
 見た事の無い、女性が佇んでいたのである。
「こちらにお住まいなんですよね? 初めまして。今日引っ越してきた立野です。あら、中学生? ほら、舞花(まいか)。ご挨拶なさい」
 その女性に隠れて気付かなかったが、どうやら女性の裏に誰か居るらしい。
 彼が、身を乗り出して覗くとそこには小さな女の子が、女性の白のカーディガンを掴み、見つからないよう肩を竦めている。
「まあた、この子ったら……。ご免なさいね。照れ屋で……。あっ、どちらに住んでいらっしゃるの?」
「い、一番奥です」
「あらあ」その女性は笑いながら声を上げ、「私達は、そこの……えぇーっと、三番目。これから、宜しくお願いね」と、頭を軽く下げながら言った。
「あ、こちらこそ……、宜しくお願いします」
「じゃあ……、またね」
「はい。さようなら」
 そして、女性と舞花と呼ばれた女の子はエレベーター方面に、彼は自宅に歩いていく。
 何となく、ちらりと後ろを見遣ったら、女の子も、偶然、ちらりと彼を見遣った。
 彼は特に感慨が湧くでもなく、ポケットの鍵を取り出し、家に入る。
 そうして、今あった事など、いつの間にやら忘れてしまっていた。
 数日後、転校生として、立野舞花が教壇にて紹介されるまでは。