下を向いて居た彼。舞花が眼前に居た事すら気付かず、慌てて頭を上げると、「うん。大丈夫!」と何時ものように、笑いながら答える。何の事は無い、と装って。
「うそ」
 舞花は、マキロンを彼の頭に掛け、ガーゼで拭きながら、ぼそっと呟いた。
「顔がひきつってる。義久? もう私は大丈夫だから。ね? 気にしてるんでしょ?」
「……うん。だって、舞花が蹴られた。舞花が蹴られた。絶対痛かった。ねえ、何であんな事するの? 分からないよ」
 彼は、さっきの惨状を思い出して感極まり、円らで、大きな瞳を潤ませる。頭に染み入る痛みの所為では無い。
「うん。大丈夫。大丈夫だから」
 舞花は、彼の頭を小さな胸で抱くと、頭を撫でる。ガーゼがひらりと落ちる。
 彼は、渦巻く胸の中で、舞花への感情を、初めて認識した。誰にも、それまで持ち得なかった感情。それは、彼が先程に初めて抱いた感情と、酷く似ていた。頬には、柔い母性の象徴。
 だが、そこで彼は、新しく湧き上がった苦悩に甚だ戦慄する。
 それは彼にとって、ボイターズの命運を揺るがす程の衝撃であった。
 そうして、解決不可能の議題に卒倒中であった最中。
 村田から、とある一通の手紙が届く。
「帰国する」
 それだけ書き殴られた、短い文面。
 彼がその、村田に対する懊悩を持ち抱いてから、三日三晩すら考えさせてくれない、二日目の午後の事であった。