鋭利に睨み付ける彼。その瞳には、憤懣の炎がメラメラと。
 そんな彼の様子に、帽子の男は、一瞬たじろいだような素振りを見せたが、すぐさまファイティングポーズをとる。
 だが、「止めてー!」彼にとって、想像も付かない人物が、車を降りて、彼と帽子の男との間に割り込んだ。
「止めて! 義久君には関係ないんだから!」
 山岸である。
「……? 山岸さん? 何で?」
 彼は問う。想定外なのだ。山岸は、彼の方を向き、瞳から零れた涙を拭うともせず、ただ、微笑を浮かべ、「バイバイ」と言った。
「……何だよつまんねえな。幸、残念だったな。ここのバイトにはもうお前来れねえぞ。うわっ。こいつ伸びてるよ。ひでえな」
 帽子の男の言葉にも、山岸は振り向かず、彼を眺めたまま、「行って」と呟く。
「ああ。うん。舞花。立てる?」
「……ひっく、ひっく。……うん」
 未だ嗚咽が収まらない舞花に肩を貸し、事務所へ歩いていく彼等。
 彼が途中で一度振り返ると、山岸は、まだこちらを見ているようだった。



 彼は、その日早退を余儀なくされた。殴られた後頭部は当たり所が悪かったのか、小さく切れていた。そして、隣に立ち竦む舞花の精神は、誰が見ても憐憫を隠しきれなかったのだ。
 田中は彼に、何かを言いたそうに強い視線を投げ掛けていたが、「くそっ!」と言い、すぐさまフロアに帰って行った。
 彼は、「病院に行こう?」と心配する従業員に「大丈夫」とだけ言うと、未だ柔弱の舞花を自分の自転車の後ろに乗せ、ゆっくりとマンションに帰る。
 肩を寄せる舞花。横向に座りながら、左手を腰に回し、「ありがとう」と呟いた。
「うん。もう少しだから、もう少しだから」
 彼には、それしか言う事が出来なかった。
 その内に、マンションに到着した彼等は、舞花が「手当てしてあげる」と言うので、エレベーターで六階の舞花の家に向かう。
「ここに居て?」
 そうして、部屋に彼を招き入れた舞花は、すぐさま薬箱を取りに行った。
 舞花の後ろ姿。それを横目で見ながら、……訳分かんない。彼は思った。
 何故、男達が舞花を連れ去ろうとしたのか? 何故、あそこに山岸が居たのか? 彼には何一つとして解り得なかったのである。初めて人を殴った。そちらの煩悶も、彼を苦しませる要因と成り得た。
「大丈夫? 義久」